[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック

 

 

チェーザレ・ボルジア 1475-1507

イタリアの封建諸侯

謀略・暗殺・戦争で政敵を次々に打倒、小国が割拠するイタリアの統一を目指した。

敵国フランス国王と養子縁組し、兄弟を暗殺するなど手段を選ばなかった

政敵や犯罪者を残虐な方法で処刑

マキャベリにより「理想的君主」と評される

31歳で戦死

 

Cesare Borgia

 


 

チェーザレ・ボルジアは小説や演劇の題材にするには格好の対象で、映画「ゴッドファーザー」のように血縁を大事にするマフィアのイメージが重なる。

チェーザレは美男子で頭がよく、父親はローマ教皇、美貌の妹との恋に身をやつす。しかも彼の生きた当時のイタリアは、ルネサンスの爛熟期にあった。

また、乱立した小国(イタリアが統一されるのは19世紀)は、隣の大国フランスを交えて権謀術数の仁義なき国際政治を展開していた。さらにいろいろと花を添える英傑が周囲にはあふれている。チェーザレ軍の参謀は「君主論」のマキャベリ、建築の責任者はレオナルド・ダ・ビンチだった。

当時のローマではミケランジェロが彫刻を彫っており、ラファエロが聖母の肖像画を書いていた。チェーザレ・ボルジアの政敵だった教皇ユリウス2世もミケランジェロにシスティナ礼拝堂の天井画を書かせるなどルネサンス教皇として名声高い。

チェーザレ・ボルジアは確かに数え切れない程の人間を殺しているが、現在の常識で残虐な殺人犯と断じるのは早計だろう。

当時の西欧世界では反対派や戦争捕虜を虐殺・拷問するのは日常的行為で、強姦・姦通・男色・近親相姦・獣姦などの事例にも事欠かない。しかも魔女狩りの最盛期にあたる。

また、我々がイメージするイタリアは19世紀半ばになってようやく出来上がった国であり、小国が割拠する戦国時代の中であらゆる手を尽くして生き残ろうとするのは至極当然だった。

マキャベリは君主論7章でチェーザレが「理想的な君主」だと言っている。短気で自己抑制を欠いている一方、残虐で手段を選ばず、戦争が抜群にうまい点では、ロシアのイワン大帝、トルコのスレイマン1世、織田信長、チンギスハーンなどによく似ている。

チェーザレ・ボルジアが生きた時代を日本史に当てはめれば、幕末や戦国の混乱期に近い。日本史であえて類似の人物を探すとしたら、織田信長か西郷隆盛あたりになるだろう。チェーザレは西郷や信長のような封建諸侯で、教皇は権威だけで力がない点で天皇に類似する。そこに虎視眈々と領地拡張を狙うフランスと近隣の共和国が絡んでくる。

チェーザレは教皇の宗教的権威と隣国フランスの軍事力を後ろ盾に、あらゆる手を尽くして戦乱の時代を生き抜こうとした。

 

 

 

   少年時代のチェーザレ


 

チェーザレ・ボルジアの父親ロドリゴ・ボルジア(1431?-1503)は巨額の賄賂をばら撒いて教皇の地位についた(アレッサンドロ6世 在位1492-1503)。ロドリゴは歴史家の間で「教皇になった人間の中で最も神に背いた」といわれている。

教皇になる前、豪華な自宅に高級娼婦を大勢集めて乱交パーティーを開いて教皇に叱責されたことがある。

教皇就任後も10代の美少女を次々に愛人にし、男色の趣味もあった。愛人の一人ヴァノッツァ・カタネイに3人の子供産ませるが、その次男がチェーザレ・ボルジアだ。

チェーザレは妹のルクレツィアが10歳に満たない頃からすでに近親相関関係にあったといわれ、後、子供を産ませている。

カリギュラやネロと同様、父母から溺愛されすべてを与えられたチェーザレは、我の強いわがままな性格に育ち、些細なことで感情を破裂させる傲慢な人間に育っていく。

父ロドリゴは長男のファンを軍人にして勢力拡大を、また、チェーザレには皇位を継がせようとした。そのため、チェーザレを修道院に入れ教育を受けさせるが、チェーザレは16歳で僧院を飛び出し、恋人とイタリア中を馬で旅する。(妹ルクレツィアも愛人として同行させた)


 

 母ヴァノッツァ

 妹ルクレツィア

 

1492年父ロドリゴは教皇になるが、女ぐせは相変わらずで若い女を次々と愛人にし、美少年にも目がなかった。しかも息子チェーザレと同じ女を愛人にすることに快感を感じていた。(ナポリ公国の王妃サンチアなど。その父アルフォンゾに娘ルクレティアを嫁がせている)

ロドリゴ(アレッサンドロ6世)はカトリック勢力の拡大を狙い近隣国の政治に介入した。フィレンツェ共和国がフランスの侵略を受けて弱体化、キリスト教原理主義者サヴォナローラ(ドミニコ派僧侶)が富豪メディチ家(ルネサンスの資金源)を追放して神権政治を行うと、ロドリゴは教会に反逆したとしてサヴォナローラを群衆の前で火刑にした。

 

北部イタリアの戦乱に乗じてフランスがローマを占領、「永遠の都」は略奪と陵辱で焦土と化す。チェーザレの母親の家も略奪にあうが、後にチェーザレはこの時のスイス人傭兵を突き止め、徹底的な拷問を加えた上にすべて殺害した(一説には、性器を切断し口に入れて唇を縫い付け、柱に縛り付け、体を500箇所刺したという。事実かは不明)。アレッサンドロ6世は1000人の親衛隊を持っていたが、フランス軍は9万だったため和平を考えるしかなかった。教皇は息子チェーザレを人質としてフランスに送る。


教皇の地位を存分に利用したアレッサンドロ6世の老獪な外交手腕と、フランスの侵攻を機にイタリアの諸国が結束したこともあり、フランス王シャルル8世は軍を引きフランスに戻る。

離婚してバチカンに戻ってきたルクレツィアは修道院に入るが、チェーザレは彼女と交わり妊娠させる。(極秘裏に出産、命名ジョバンニ・ボルジア)

シャルル8世が死去しルイ12世が即位すると、チェーザレは新しいフランス国王の養子となりフランスの後ろ盾を得た。彼は「チェーザレ・ボルジア・ドゥ・フランンチア(フランス王の息子)となり、ヴァランス公国など二つの小国の元首に就任する。

なお、教皇の長男である兄ファンが1497/06/149ヶ所を刺され水死体となって川に浮いていたが、チェーザレによる暗殺説が濃厚で、兄が就任するはずだった地位を力で奪ったらしい。

チェーザレはスイス北部のナバーラ国の王女シャルロット・ダルブレ(16歳)と結婚した。なお初夜の一部始終を詳細に描写した手紙を父アレッサンドロ6世に送っている。その後も似たような手紙を何度も送っている点から、父は奔放な息子の行動を喜んでいたと見られる。この頃、コロンブスが大陸から持ち帰った梅毒が、チェーザレの身を蝕み始めていた。

 


フランスが再びイタリアに軍を送るとチェーザレはローマにもどった。するとフランスの宮廷でじっと我慢していた侮辱をはらすため、フランス人を次々と葬っていく。当時の法医学では検出できない毒物を使用したり、部下に襲撃させ、死体の山を築いていった。

アレッサンドロ6世の毒殺未遂事件がおきると、チェーザレは難癖をつけてナポリ公国の一部を併合、元首アルフォンゾ卿(妹ルクレティアの夫)を部下に襲撃させる。襲撃には失敗するがチェーザレは自らの手で彼を絞殺、弓で射られたため正当防衛だったと言って押し通した。

チェーザレはベネチアの南に広がるロマーニャ地方の征服を企図。父アレッサンドロ6世は、名誉欲に取り付かれた金持ち12人に赤帽子(枢機卿の位の証)を高額で売りつけて戦費を調達した。

ロマーニャを征服したチェーザレは、治安の悪い敵地で一計を案じる。まず、最も冷酷・残虐な部下レミッロ・デ・オルコに治安を担当させ、強盗や窃盗犯を残虐な方法で次々に処刑していく。住民がその恐怖政治に怯え震え上がっているところで、レミッロ・デ・オルコの体を二つに切断して目立つ広場の真中に放置した。こうして部下一人を犠牲にして人心を得た。

チェーザレは自分を暗殺しようとする貴族たちの陰謀を嗅ぎ付けた。するとチェーザレはにこやかで誠実な態度を見せ、同盟関係と地位の保全を約束した。その上で食事に招き、その場で全員を皆殺しにした。  


1503/08/11、枢機卿の一人が催したパーティーに出席した際、チェーザレとアレッサンドロ6世は何者かに毒を盛られて生死の淵をさまよう(マラリアという説もある)。父アレッサンドロ6世は1週間後に死亡、チェーザレは命こそ取り留めたが、長いこと床に伏せることになる。

後を継いだピウス3世が1ヶ月もしないうちに死亡すると、チェーザレの政敵ロベーレ家のユリウス2世が教皇となる。教会を正統性の根拠としていたチェーザレにとって父の死亡は大きな転換点だった。処刑・暗殺によって政敵を次々に殺害してきたため、故郷ローマにも恨みを抱く者が多く、最悪なことにかつての敵が教皇になってしまった。

ユリウス2世は当然のごとくチェーザレを逮捕・投獄した。チェーザレは脱走してフランス・スペイン・ナポリ公国と、同盟・友好関係にあった国々に助けを求めるが、すべてに裏切られた。ナポリ公国に身を寄せていると、その事実上の支配者だったスペイン国王フェルディナントによって逮捕、所領をすべて没収され監獄に幽閉される。

チェーザレは妻の祖国ナバーラへ逃れ、再び軍司令官に返り咲く。敵の要塞を包囲し戦況を有利に進めるが、1507311日の夜、激しい嵐にみまわれる。篭城中のボウモント伯が意表をついて城塞から打って出たため、ナバーラ軍は総崩れとなった。そんな中、チェーザレは敵の軍勢に12騎だけで突撃し戦死、31歳だった。

葬儀ではかつての栄光は見る影もなく、参列したのは母ヴァノッツァ、妹ルクレツィア、マキャベリの3人だけだった。謀略を自在に操ったチェーザレは、自らも謀略の渦に巻き込まれ戦乱の中で散っていった。「君主論」でマキャベリはこう書いている。

 

かつてある人物の中に、神がイタリアの贖罪を命じた一筋の光が射したように見えた。だが残念ながら、彼は活動の絶頂で運命から見放されてしまった。 (第26章)  

 ユリウス2世

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Cesare Borgia

 

 

 

 

           ●トップ    ●掲示板  ●猟奇殺人犯アーカイブ    ●猟奇殺人の研究

 

プロファイル研究所 管理人とまと 

連絡先 9tomato@excite.co.j 大量のジャンクメール対策として末尾の「p」を削除してあります。

All Rights Reserved.

  リンクフリーです。勝手にリンクして下さいませ^^ゞ

  当サイトにはグロテスクな表現や画像が含まれておりますのでご注意下さい

 

You can link your site to this one without my approval. Send your comment or opinion to Tomato