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犠牲者は、発見されたとき独特の儀式的ポーズをとっていた。殺害はすべて被害者の衣服を用いた絞殺。
衣服を裂いたひもで左右対称の手の込んだ蝶結びを施し、両足を広げ性器をドアの方向に向けて放置した。
デサルボは、写真家のエージェントを装って若い女性宅を訪問して体のサイズを聞いたことで逮捕、短期間勾留されたことがある(1961)。
アルバート・ デサルボの父親は、自宅に娼婦を連れ込んで妻と喧嘩になると、殴ったうえにまだ幼いデサルボが見ている前で指を一本ずつ楽しむかのように折っていった。
ボストンを恐怖で凍り付かせた、アルバート・
デサルボは父親についてこう述べている。
“オヤジは配管工だった。俺の背中じゅうをパイプで殴ったよ。よける間もなかったね”
デサルボは結婚して妻と同居していたが、性欲が異常に強く、一日に5〜6回の性交を要求していた。
デサルボは飽くなき性欲によっておびただしい数のレイプ事件を起こす。警察の発表数では300件だが、本人の自白は2000件だという。
精神科医、人類学者などがプロファイル委員会を結成、「精神医学的プロファイル」が作成された。当初、委員会は13件の殺人に対して犯人が二人だとしていた。また犯人像に関して
「支配的で魅力的な母親に育てられるが母親への憎悪を表現できず、その代わりにその憎悪をほかの女性に向けた。一度でも支配的な母親と喧嘩ができたなら、犯人は普通の人生を生きていただろう」
しかし、メテスキー事件で有名になったジェームズ・ブラッセルは単独犯説を展開した。
殺害された犠牲者たちは、両足を開き性器をドアに向けた状態で発見されたが、レイプはされていなかった。唯一、メアリー・サリバン(19)の場合のみ、遺体のそばに射精した痕があった。
デサルボは母親が支配的な家庭で育ち、性的能力は極度に強く、妻の証言によれば1日に4-5回の射精が必要だった。軍隊を名誉除隊し、建設会社で10年働いていた。
これらの点は、一般的なレイプ犯の犯人像とは明らかに異なってはいるが、ブラッセル博士のプロファイルも完全に外れた
(つかまっていない真犯人については当たっているかもしれない)。
メテスキー事件では名声を博したブラッセル博士だったが、デサルボの時は警察の捜査を誤った方向に動かした。欧州南部の出身、歪んだエディプスコンプレックス(=マザコン)、性的能力の欠如からくる女性一般への憎悪、などを推理したが、これらは明らかにデサルボの特徴とは違っている(犯人ではなかったので当然ともいえる)。
デサルボの逮捕は偶然で、ボストン絞殺魔としてではなく窃盗によるものだった。
裁判では、自白以外の物的証拠がなく、殺人罪では起訴されなかった。連続レイプ事件では、犯行時に緑のズボンをはいていた目撃証言が決め手となり、1966年終身刑となる。一度脱走するがすぐ捕まった。
73年刑務所内で刺殺。
CBSテレビは殺人に関しては「物的証拠が無く、しかも自白が矛盾する」として冤罪の可能性を報じている(2000/09)
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