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Jim Jones 

ジム・ジョーンズ

人民寺院(Pepole's Temple)教祖。

1931年インディアナ州生まれ。

終末論を説く。信者からはFatherと呼ばれた

78年11月、信者913人以上が南米ガイアナで集団自殺。ガイアナの監察医Leslie Mootooは300人以上が他殺だとしている。

 

 


ガイアナに移った信者達は、独自の共同体思想に基づく完全に自給自足の理想郷を作ろうとした。すべての構成員が平等で、平和に生きられる社会を目指した。これは死ぬに値する理想だと教祖は語った。多くの信者達は自分の死を高貴で尊厳に満ちたものと信じたまま自殺したという。

集団自殺から20年以上たった今でもジョーンズの信者は増えている。

 


父親はKKK(クークラックスクラン)の狂信的信者でジョーンズが12歳の時家族を捨てる。母親Lynetteは地元ボランティア活動に積極的に参加し弱者救済に尽くした。

日曜日には母親や兄弟ともに教会に通った。学校の成績は優秀だった。高校卒業後すぐ結婚。妻Marcelineはジョーンズの気性の激しさ、嫉妬深さに辟易するが宗教的信条から離婚はしないと決めていた。

 

インディアナ大学在学中からメソジスト教会で牧師としてはたらく。大学卒業後、州都インディアナポリスのスラム街に自分の教会を建て活動を始めるが、資金難と「人種融和思想」の頓挫で教会の運営は困難を極めた。しかし教会は徐々に規模を拡大した。黒人と韓国人の子供を養子にもらったほか、自分の子供ももうけた。

 

このころから精神分裂病の兆候が現れる。ジョーンズは自分の教団が敵の見えない脅威にさらされているという妄想に取りつかれ始めた。敵と見なしたのは連邦政府と脱会信者で、身辺警護を強化し、元信者の自宅を見張らせた。警察に相談して無視されたこともある。

キューバ危機で核戦争の危険を感じたことや、既存の教会から攻撃を受けたため(妄想が含まれる)、ジョーンズは本拠をカリフォルニアに移し、人民寺院という宗教教団を信者140人とともに結成(63)。

その後、教団は飛躍的に拡大、全米各地から多額の寄付金が寄せられた。活動は人種の融和、弱者の救済で、社会に適応できない人、乞食、失業者、前科者、麻薬中毒者などを積極的に支援した。規模の拡大につれ、信者には大きな義務が課せられた。

感情の起伏を抑えるため様々な薬物を服用するようになる。妻は不倫が激しくなったジョーンズと離婚。子供が睡眠薬を飲んで自殺を図った。

社会主義に傾倒する。洗礼を「聖なる社会主義の名において」おこなっていた。

ラジオの全国放送を始め、全国的に有名になる。73年には信者が2500人まで増加。

ガンが治る、目が見えるようになるといった「治療」を行った。当初自由だった寄付金も額が公開されるようになり、徐々に年収の25%まで上昇する。

もっとも崇高な献身はすべての財産を教団に寄付し教団内で生活することだった。反抗的態度は信仰の無さとされ、外界の悪の世界には耳を貸さないように説いた。


 

1974年本拠を南米ガイアナに移転。300エーカー(124万u)の土地を購入しコミューンを建設、Jonestownと命名。

正義と平等を実現する社会主義は神の啓示だというキリスト教共同体主義(Christian communalism)を説き、社会主義を通じてのみ人間は自由になれるとした。またジョーンズに病気を治す力があるのは彼がキリストの生まれ代わりだからだと述べた。

性的自由のない結婚は反革命的だとし、配偶者の不倫に嫉妬すると公然と非難した。男女を問わずセックスについてあからさまに語るよう強要した。

73年ゲイの集まるMacArthur Parkで男性に猥褻行為をしたとして逮捕。起訴は免れるかわりに罪を認める文書に署名した。

教団内の信者虐待が激しくなったため脱会者が続出。

元信者でジョーンズの元愛人Grace Stoneが教団の実体を告発したことをきっかけにマスコミの激しい攻撃を受ける。

元信者からの告訴や、信者が集団で脱走しアメリカ領事館に保護を求めるといった不祥事が続発。

信者の家族達の要請を受け、下院議員Leo J. Ryanの視察団が現地を訪れるが、4人の同伴者とともに帰りの飛行機搭乗の途中に射殺された。その直後の11/18日、913人以上の信者が集団で自殺した。

反抗的な態度をとった信者は銃殺されたが、脱走したものもいる。当時1100人がJonestownにいたとされ、167名が生き残っている。

ガイアナの監察医Leslie Mootooは300人以上が他殺だとしている。それは銃で後ろから撃たれていたり、自分では手の届かない体の部位からシアン化物を注射されている遺体が多かったからだ。現場に最初に到着したグリーンベレーのCharles Huffもテレビのインタビューで、「逃げようとして後ろから撃たれたらしい遺体を数多く見た」と述べている。

ジム・ ジョーンズは頭を銃で撃たれていたが自殺か他殺かは未だ不明だ。

なおアメリカ政府が8000以上の文書を公開していないために、事件に真相については憶測が飛び交っている。CIAのマインドコントロール実験だった、などという説まである。

 

 

 

 

 

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