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元妻のキャシーと出合ったのは13歳の時で崩壊した家庭に育った不満を共有できたこともあり、深い信頼関係を持つ。6年にわたって交際した後、1974年1月に結婚、二人の子供をもうける。その時、ロングはフロリダのホームステッド空軍基地に陸軍兵士として勤務していた。この頃にオートバイの事故で頭部に大怪我を負ったが、この頃を境にロングの暴力的言動や度を越した性行動が目立ち始めた。後の証言では一日に4−5回の射精が必要で、性交も暴力的なものだった。なお、子供の時にも頭蓋骨に損傷を受けたことがあり、弁護団はこれが原因で行動を抑制できなくなったと述べている。
キャシーとの関係は離婚後も続いており、彼女は逮捕される直前にロングの家を子供と一緒に訪問する予定だった。逮捕後に電話をかけ、「子供達には父親は事故で死んだと言ってくれ」と述べたという。
1981年10月、ロングと同棲していたシャロン・リチャーズという女性がレイプされたと警察に訴えたことがある。この時は証拠不十分で逮捕に至らなかったが、この2週間後に口論の末に彼女を殴って怪我をさせ裁判に。反省の態度は全く見せず、全てがリチャーズのせいであって自分は何も悪くないという手紙を再三にわたって判事に提出。
1983年11月、リチャーズへの暴行の裁判が継続している間に、12歳の少女へ猥褻な手紙・写真を大量に送ったとして逮捕。少女への猥褻電話の記録から2日間勾留され6ヶ月の保護観察に。リチャーズへの暴行は証拠不十分で無罪。
1984年2月、放射線技師として働いていた病院を退職
1984/03/06日、新聞に家の売却希望広告を出していた女性宅を訪れたロングは、新聞の広告を見たので家の中を見せて欲しいと言って家の中に侵入、銃で女性を脅し
、レイプした上で殺害。盗んだ指輪を質に入れた。
この頃、病院の同僚で看護婦のエマという女性と交際、数々の強盗強姦事件で奪った宝石類を彼女にプレゼントし続けた。
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