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69/07月までにマンソンはファミリーを引き連れ砂漠の中の牧場で原始的な生活を送るようになる。信者は常に35−40人程度はおり、大半は女性で子連れもいた。生活費はメンバーが持ち寄った現金・クレジットカードなどで大半は、彼らの両親からのものだった。ただ、資金が潤沢だったわけではなく、ゴミをあさって食料を調達することも多かった。
信者は白人中産階級の娘が大半で、犯罪歴はなかった(スーザン・アトキンスを除く)。
牧場の持ち主ジョージ・スパーンは80歳でほとんど盲目だった。牧場の掃除や信者女性との性交を条件にファミリーに牧場を提供したとされる。
マンソンの作詞作曲した歌が収監されていた精神病院から盗みだされフランスで流行。70年代ヨーロッパで英雄に祭り上げられたこともある。
マンソンはビートルズの熱狂的ファンで「へルタースケルター」という曲に特殊なメッセージを感じ、それを体現しているのだという。
Helter Skelter (Lennon-McCartney)
When I get to the
bottom I go back to the top of the slide
Where I stop and I turn and I go for a ride
Till I get to the bottom and I see you again
マンソンは白人と黒人の最終戦争のことを“Helter
Skelter”と呼んでいたが、上記の歌詞はマンソン自身のファミリーのことを歌っているとした。つまり、底のない穴からファミリーが現れる様子を描いたものだというのだ。イギリスでは“Helter
Skelter”は遊園地にあるらせん状の滑り台のことだったが、アメリカにはこのような解釈はなかった。
マンソンは『ホワイト・アルバム』が発売されてから、信者に対しこの表現をを多用し、来るべき最終戦争を避けるため、人里離れた砂漠にファミリーで隠れすむよう信者に説いた。
マンソンにインスピレーションを与えたのはビートルズで、特に『ホワイト・アルバム』を重要視しており、彼自身との接点を多くの曲の中に見出した。
60 年代から70年代はじめにかけてマンソンファミリーの生き方をまねた反社会グループが全世界に生まれた。
現在もカリフォルニア州コーコラン刑務所に服役している。 |