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殺人は悪くない。人は皆いずれ死ぬんだから

"Murder isn’t that bad, we all die sometime anyway."

 


 

 

メアリ・ベル

最初の殺人の時10歳。 

68年の春、イギリスのニューカッスルEアポン・タインで、共犯の少女ノーマ・ベル(13才:苗字が同じだが家族ではないと共に、3歳と4歳の男児を殺害。

サイコパスで、反省の色は全くなかった。 

終身刑判決を受けるが、犯行時の年齢から22歳で仮釈放。後に書いた本で多額の報酬を受け、殺人で金儲けしたとブレア首相をふくめ社会から激しい非難を浴びた。

現在、改名し、一児(84年生。女)の母親。

 

Mary Bell

 

生い立ちと家族構成 

長女で妹弟がいる。2歳になる頃には既に暴力的傾向を示し、情緒不安定になっていた。4歳で幼稚園に入るが、慢性的嘘つきで反省せず、よくしゃべるというサイコパスの特徴が顕著になってくる。他の園児の首を締めても謝ることなく開き直った。

父親ビリー(Billy:継父で実父は今だ不明)は窃盗の常習犯だった。メアリに「叔父さん」と呼ぶよう教えていたが、それはメアリの母親が生活保護を受けていたからだった。

母親ベティ(Betty)は1940年グラスゴー生まれ、幼少期は宗教的に厳格に育てられ修道女になると言っていたが、父の死の頃から次第に道を踏み外す。薬物中毒になり、57年にはメアリを妊娠・出産する。ベティは売春婦で、仕事のために家を空けることが多かった。メアリが生まれた時のベティの第一声は「それを早く片付けて!"Take that thing away from me!"  

母親はメアリの有罪確定後、「犠牲者」というイメージを作ろうとしながらタブロイド紙に娘の書いた手紙を売って荒稼ぎしていた。ミュンヒハウゼン(ドイツの作家R. E. Raspe (1737-94) 作の冒険談の主人公で, 大ぼら吹き)のようだという論評がある。  

メアリは母親のピルを大量に服用し意識不明になったことがあり、家に出入りする若い男達も怪しげな薬をメアリに飲ませることがあった。

(このメアリ・ベル事件を取材した作家ジッタ・セレニーは、母親ベティがメアリを売春の道具に利用したとしているが、これは別の場所で嘘とされるためここでは書かない)

 

犯行

68/5/5日、建設現場で遊んでいた少年3人がマーティン・ブラウン(3)の遺体を発見、近くの建設労働者に伝えた。

遺体は口から血を流しており、頬・あごに大量の唾液が付着していた。メアリはマーティンの母親に彼が血だらけになって倒れていると伝えに行き、取り乱して半狂乱になった母親を現場まで案内した。

この時、警察は首に締められた痕・外傷がなく、遺体そばにアスピリンの空瓶が落ちていたため、薬を大量に服用したことによる事故死であるとした。捜査はされず、事故死として決着した。メアリは遺族に対しニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら、マーティンがいなくて寂しいか、彼のために泣いたか、などと繰り返し尋ねたという。

ある時、マーティンの母親Juneが玄関に出るとメアリが立っていて、ニヤニヤしながらこう言った。

マーティンは死んじゃったんだ。棺桶の中の彼に会いたいな

 ‘Oh, I know he’s dead. I wanted to see him in his coffin,’

母親は唖然としたが、メアリが去った後、怒りが込み上げたためドアを力任せにバタンとしめた。  


68/5/11日、居酒屋近くの物置の中で、メアリの従兄弟である3歳の少年が頭から血を流して倒れているところを、メアリと共犯のノーマ・ベル(13)が「発見し」、転落事故だとした(後に突き落としたことを認めた)。

翌日、託児所Day Nursaryの砂場で3人の少女が二人に襲われ、顔が紫になるまで首を締められた(実行はメアリのみ)。首を締めながら、メアリはノーマにこう言った。「首しめると死ぬのかなぁ‘What happens if you choke someone, do they die?’」。5/15日の記録には警察から注意を受けただけで家に返されたことになっているが、この時すでにマーティン・ブラウンの殺害から10日が経過していた。

 

68/05/26日、メアリは11歳の誕生日にノーマの妹の首を締めているところをノーマの父親に見られ、怒られる。翌日の朝、託児所Day Nurseryが荒らされているのを職員が発見。掃除用具は床に散乱、備品が破壊され、その上様々な落書きが残されていた。「戻ってくるために殺す”I murder so that I may come back"」また、

マーティン・ブラウンを殺した犯人でございます。ノータリンのおバカさんへ"we did murder Martin brown Fuck of you Bastard"

この時、警察はたちの悪い悪戯として処理したが、後にメアリは「面白半分に"for a giggle."」この落書きを書いたことを認める。  

 

同じ日の朝、メアリはノートにマーティン・ブラウンの遺体にそっくりの絵を書いTablet(錠剤)と書いた瓶が落ちており、殺害後逃走の直接のきっかけになった男性が描かれている。文章は男子が殺され現場に野次馬が集まっていたという内容。

その週の金曜日、メアリとノーマは再び託児所に侵入たところを新設された警報装置にかかって捕まる。少年裁判所への出頭日時を決めて両親に引き取られて釈放された。

1週間後、メアリはノーマに殴る蹴るの暴行を加え、マーティン殺害現場を指差しながら「あたしは人殺し!あそこで殺したー!」と叫んでいるのを複数の人間が目撃しているが、虚言癖のため真剣に考えるものは誰もいなかった。ブライアン・ハウ(4才:Brian Howe)の絞殺1週間前には、ブライアン宅を訪れ、どうやってマーティンの首を締めたかを自分の首を締めながら説明したという。  

 

第二の犯行

19688月にブライアン・ハウ(3才:Brian Howe)の殺害事件がおきたとき、現場の町Scotswood(ロンドンの北440km)は不況に喘いでいた。

ブライアンの遺体は廃屋のブロック塀の間で雑草をかけられた状態で発見された。死因は手による絞殺。大腿部・性器に損傷があり、その凶器と見られる折れたはさみが傍に落ちていた。髪の一部がバッサリと切り取られ、頭部には鈍器で殴られた痕があった。腹部にはかみそりで「M」の文字が刻まれていた。

メアリ・ベル(11)とノーマ・ベル(13)が警察に事情聴取を受ける(苗字は同じだが家族ではない)。この時、メアリはある少年がブライアンを殺すのを見たと述べ、その模様を詳細に語った。その描写は、マスコミに公開されていない情報である「はさみを使用した」ことや、そのはさみが銀色であることまで含んでいた。そしてその少年は犯行時に空港にいたというアリバイがあったため、メアリとノーマが逮捕された。  


 担当のドブソン刑事はメアリ・ベルがブライアンの葬式の日に棺桶を見て笑っていたと証言している。また、マーティン・ブラウン殺害後に「あたしって人殺しなの"I am a murderer!"」と叫んで笑いものになっていたという複数の信頼すべき証言がある。また、さらに複数の少年が以前からメアリに怪我をさせられていた事実もある。

勾留されたメアリとノーマは落ち着くことなくわめき散らした。メアリは慢性的な夜尿症でもらすのが嫌だったらしい。後の証言によれば、メアリの母親はもらす度に小便にメアリの顔を手荒く押し付け、近所の皆が見える場所にマットレスを干したという(この証言には偽証説がある)。

収監中の女性看守によれば、人を傷つけるのが好きだと切り返し述べ、将来看護婦になりたいのは「針を人間に刺せる」からだと述べた。犯行後も反省はなく犠牲者への同情なども全く欠落していた。この女性看守はメアリがこう言ったと述べている。

 ブライアンはお母さんがいないんだから、いなくなっても誰も寂しいとは思わないでしょ

精神鑑定を行った精神科医Dr. Ortonはこう言っている。「サイコパスの子供に会ったことは多いが、これほどにずる賢くて危険な症例は初めてだ "I’ve seen a lot of psychopathic children, but I’ve never met one like Mary: as intelligent, as manipulative, or as dangerous."」。

サイコパスの特徴の1つである無反省・自己正当化・虚言癖は、メアリにも顕著に見られた。

 

 

後の経過

裁判は68/12/05日開始。陪審は女性5人男性7人。両者とも責任をなすり付け合い、マーティン・ブラウン殺害については二人とも無罪を主張。陪審が4時間かけて達した評決では、ノーマは無罪(託児所への不法侵入で保護観察のみ)、メアリはマーティン・ブライアンの両件について有罪とされた。犯行時の10歳という年齢から治療終結後の釈放という不定期刑になった。日本でいうと酒鬼薔薇の医療少年院送致に近い処分だ。 

収容施設がなかなか決まらず結局男性ばかりの少年院(Red Bank Special Unit1969-73)に送られた。メアリと良好な関係を保っていた父親ビリーは度々施設を訪れたが、武装強盗で69年に刑務所行きになった。


母親ベティは娘の事件をタブロイド新聞に売って稼いでいた。面会に行っては詩や手紙を書くようメアリに言いそれを流していたのだ。

メアリは16歳で自傷事件を起こし設備の整った刑務所に移送される。

1977年警戒のゆるい施設に移された。そこで他の囚人と脱走、二人の若い男に拾われ処女を失う(後に相手の男はこのことをタブロイド紙に売る)。  


 1980/05/14日、22歳で仮釈放。職を転々とし、大学もすぐ行かなくなり、母親のところへ戻る。

この頃若い男と付き合って妊娠、84年に出産。仮釈放期限の92年まで裁判所の監督下にあったが、育児を許可された。別の男性と恋仲になり小さな村に落ち着くが前歴が分かってしまい、「人殺しは出て行け!」というデモにあう。

 199840歳で事件の一部始終を告白した本Cries Unheard (邦訳:魂の叫び・ジッタ・セレニー著・清流出版を出版する。

 

メアリは一人娘には過去を隠していたが、この出版で全てが明らかになった。幸いなことに娘は母親を許したが、マスコミは自宅に大挙して押し寄せた。野次馬とマスコミで騒然とする自宅から、毛布をかぶってカメラのフラッシュをかわしながら脱出することになった。

 

 

 

                    BBC

          

Sereny, Gitta. Cries Unheard -- Why Children Kill: The Story of Mary Bell. New York: Metropolitan Books, 1999.

(魂の叫び・ジッタ・セレニー著・清流出版

Sereny Gitta. The Case of Mary Bell. London: Arrow Books, 1972. (Out of print)

『マリー・ベル事件』(ジッタ・セレニー 評論社)

 

 

 

 

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