[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック

 

 

激増する犯罪、高すぎる税金、私利私欲に走る政治家、消えたアメリカンドリーム、そして人々は自分のことしか考えていない。アメリカは衰退している
 



 

CBS NEWS

Timothy McVeigh

ティモシー・マクベイ

1968年生まれ

オクラホマ州連邦政府ビル爆破事件の主犯

168人が死亡。500人が負傷

死刑 (2001年6月11日薬物注射、当時33歳)

CNNの調査では国民の78%が死刑を希望していた

 

 

 

刑務所内でユナボマーTed Kaczynskiと会った時のことをこう言っている。

 

共通点を感じた。俺達が人生に望むのは自分の人生を生きる自由だけだった

 "some common ground ... All we ever wanted out of life was the freedom to live our own lives."

 


 

 

9階建てのビルだった。95/04/19日9:02分、玄関に止まっていたトラックが爆発


 

ティモシー・マクベイは1968年ニューヨーク北部生まれ。2つ上の姉Patty、6歳下の妹Jennifer3人兄弟。

保守的で安定した町の出身。ほとんど白人しか住んでおらず、治安が良い地域だった。父親Billはその父親が30年勤め上げた車工場で働いていた(GM車のラジエター工場)。ゴルフと庭いじりが好きで、日曜には教会に通い、弱者のために募金をし民主党と労働組合に所属、リトルリーグのコーチを勤め、T-シャツと野球帽という出で立ちの普通のアメリカ人だった。

母親Mickeyは旅行会社で働いていたが、夫の凡人ぶりに愛想を尽かし、マクベイが10歳の時、性格の不一致を理由に離婚(1978)。裁判することもなく単に荷物をまとめて突然出ていってしまったため、残されたマクベイや父親Billのショックは大きかった。

金曜日にすることと言えば、ピザを食べながら野球を見て、木に水をやるだけ"Bill's idea of a Friday night was to have a pizza, watch the ballgame and water his plants,"の退屈な男に飽きたのだという。妻Mickeyは夫に断ることなく方々に外出することが多かったと当時の隣人達が証言している。

父親は工場で夜勤で働いていたためマクベイ達は家でほったらかされていることが多かった。マクベイの友人の母親がよく様子を見ていたが、彼は礼儀正しく、何か問題があるようには見えなかったという。スケートボードや、庭先のバスケットボールのゴールで友人達とごく普通に遊んでいた。自宅の地下室で週末に「カジノ」を開いていた。

当時一緒に遊んでいた友人達の証言によれば、マクベイは父親との関係を良好に保ち敬意を払っていたが、母親については何も語らなかったという。

 


学校の成績は悪かったが、やる気がなかっただけのようで、リージェンツ奨学金(Regents scholarship)を圧倒的成績で獲得している。中学の頃から、銃に異常なまでの関心を示すようになるが、学校にいた頃問題を起こしたことはなく、前科などもない。

14歳の時、「核戦争に備えて」森の中に大量の食料を持ち込みキャンプしながらサバイバル訓練や銃の射撃練習をしていた。高校の時には付き合っていた女性はいなかった。学校には一日も休まず行っていたが、極度に痩せていたため、からかわれることがあった。人間関係は当時から苦手だったらしい。当時の複数のクラスメートも「シャイだった」と述べている。

高校卒業後、2年制のコミュニティーカレッジ(短大)にはいり、コンピュータを勉強するが「飽きた」として中退。

武装した現金輸送車の運転の仕事に就く。当時の同僚によれば、銃への執着は異常だったと言う。前を遅い車が走っているとショットガンをもって怒鳴り散らすことがあった。

次の職は銃のセールスマンだった。

198810エーカー(1Acre4047 平方メートル)の森を高校の友人と共同で7000ドルで購入。それは「生き残る者の隠れ家survivalist bunker」だったという。 


陸軍に入るが、入隊テストの点数は非常に高く、特に数学や電子工学などの点数が高かった。Fort Benningで基礎訓練を受ける間、後に共犯となるテリー・ニコルズに出会う。

爆発物を作る訓練の時、製造法をすでに知っていることを自慢していた。射撃訓練では、ほぼパーフェクトの点数を出し表彰。

黒人への侮辱的発言が目立った。同僚に金を貸したり、車で送ったりして金を儲けていた。酒や女には目もくれず、サバイバル関係の雑誌や映画を大量に繰り返し見ていた。

入隊前に買った森に、軍隊の携帯食料を大量に貯蔵、ドラム缶に水を貯めた。

ある時、妹のジェニファーが女性Ayers Andersonを紹介するが、「照れて赤くなってしまい話し方が不自然だった"he seemed really awkwardHe just kept turning red."

 

冷戦が終わり、軍が人員削減を始めた80年代後半、グリーンベレーを目指し一日400回の腕立てふせ、40kgの砂袋を背負って走るなどの激しい鍛錬を始める。

9011月に試験がある予定だったが、湾岸戦争が勃発し従軍のための訓練にかり出される。戦車に乗ったイラク軍将校を1マイル以上離れた場所から倒すなどいくつかの功績を認められ、勲章(Combat Infantry Badge と Bronze Star)を受ける。ただ、グリーンベレーの試験には落ち、ひどく落ち込む。マクベイへの軍の評価は非常に高かったが、91年に自ら軍隊を辞める。

ガードマンになり安い給料で軍と関連の企業の施設を巡回する退屈な仕事に就き、父親と一緒に暮らす。所有していた森林を「新しい人生が始まる」として売り払う。その年、警備会社では責任者に昇格する。

92年地元の新聞への投稿では政府への敵意が明確に現れるようになった。

激増する犯罪、高すぎる税金、私利私欲に走る政治家、消えたアメリカンドリーム、そして人々は自分のことしか考えていない。アメリカは衰退している

93年、武装した反政府団体の活動に興味を持つ。ニコルズと一緒にいることが多くなり、武器を銃展示会(Gun Show:販売の規制が甘い)で武器を売りさばく。Spotlightという右翼新聞に対戦車ミサイルの広告を出したこともある。

419日には、1775年レキシントンの戦いで独立戦争が開始、93年にはブランチダビディアン事件が起きている。そして、95年には168人が死亡する爆弾テロが起きることになった。

4/19日を選んだのは、2年前にブランチダビディアン事件があった日だったからで、後にジャーナリストへ出した手紙でも「政府がWacco事件について謝罪しないことはこれ以上許せない」と述べている。

 

 


記念碑

CNN

 

 

 

 

 

 

 

 

CNN

検察側の立証では、マクベイは4000ポンド(2トン)トラックを借り、硝酸アンモニウム(化学肥料)を2000ポンド(約900kg)積んで、レース用燃料、採石場から盗んだダイナマイト299本(雷管544本)に点火し、ビルを爆破したという。

裁判は、「より公正な裁きを期すため」との理由から事件現場を離れてデンバー連邦地裁で始まった。これは陪審の偏見を避けるための措置だ。

検察側は、95/4/19の事件発生直後に事件現場のオクラホマシティー郊外で別件で逮捕されたマクベイが事件の主犯であるとし、大量破壊兵器(爆弾)を使ったテロの陰謀と実行、第一級殺人など11の訴因で起訴。 

察側は138人の証人を立て、テキサス州のブランチダビディアン事件(93/04)の報復として連邦政府ビル爆破を計画、「第二のアメリカ革命」を引き起こそうとしたと主張。犠牲者の遺族や生存者、さらに事件発生直後に現場に駆けつけた警官や医師らの証言で、惨事がもたらした悲劇を克明に再現。「死刑のみが妥当」とした。

爆弾材料となった肥料の購入レシートに残っていた指紋や、衣類から検出された爆弾成分などの物証で犯行は立証された。

弁護側は減刑のみを主眼にした法廷戦術を展開。FBI提出の証拠のあいまいさを突き、検察側との司法取引で免責特権を与えられた元軍隊仲間の証言は信憑性がないとしたが、陪審員への説得力に欠けた。

その上で、検察側が事件の動機としたブランチダビディアン事件を逆手にとり、女性や子供を含む約80人のカルト集団信者らを死亡させた「国家権力の横暴」に対する被告の怒りを多くの米市民が共有しているとし助命を訴えた。

裁判は2カ月で結審。12人の陪審員(男性7人、女性5人)は4日間にわたり計23.5時間にのぼる審理を行った。 その結果、陪審団は11の訴因すべてについて有罪を評決。評決が言い渡される間、マクベイ被告は無表情で判事を見つめていた。傍聴につめかけた遺族や生存者らの間ではすすり泣きがもれた。被告側は上告した。

CBSテレビの有名番組60Minutesに出演、「死ぬ覚悟は出来ている」と述べ、裁判のやり直しを求めているのは「公平な裁判を受けられなかった」ことを不服としているからだと述べた。実際に陪審にかなり強い先入観があったことがCBSの取材で明らかにされた。「こいつこそが犯人だと思いました」という陪審員男性の証言もあった。

上級裁判所でも判決は覆らず、死刑が確定。陪審員長はこう言った。

これで枕を高くして寝られるでしょう。法制度がきちんと機能したんですから

"I think we can all sleep better at night, knowing the system does work," jury foreman Jim Osgood

インディアナ州Terre Hauteに収監。再審請求を繰り返すが、2001年6月11日、薬物注射で死刑が執行された。当時33歳。死刑の模様を全国中継するよう本人が求めたが却下された。

 

検事団(CNN)

 

Richard Matsch判事(CNN)


テリー・ニコルズは爆破の現場にはいなかったが、偽名で納屋を借り、マクベイが爆破の原料を貯蔵するのを助け、逃走用の車を貸した。また、自分自身でも硝酸アンモニウムを40袋購入している。

離婚歴1回、犯行時には妻子がおり、家庭に問題はなかった。

ミシガン州の農家の生まれ。大学卒業後、職を転々、33歳で軍隊に入り、マクベイと出会う。除隊後、マクベイはニコルズの農場を頻繁に訪れ、銃の展示会(Gun Show)で武器を売る。

マクベイと同様、93年のブランチダビディアン事件に激怒。

私はもはや腐敗しきったアメリカの市民ではない

"I am stating that I no longer am a citizen of the corrupt political corporate state of Michigan and the Unites States of America ... I am a 'non-resident alien,'"

マクベイを助けたとして終身刑判決が出たが、死刑を求めた検事団がこれを不服として、連邦法で起訴、これが「一事不再理」に反するという批判が一部にある。結局、終身刑が確定。

 

なお、Michael Fortierというもう一人の男が、計画を知っていながら通報しなかったとして懲役12年になっている。

Terry Nichols

 

CNN

 

 

Picture CNN CBS

http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/americas/1321244.stm

http://www.washingtonpost.com/wp-srv/national/longterm/oklahoma/bg/mcveigh.htm

http://www.cnn.com/US/9703/okc.trial/links.html

 

 

           ●トップ    ●掲示板  ●猟奇殺人犯アーカイブ    ●猟奇殺人の研究

 

プロファイル研究所 管理人とまと 

連絡先 9tomato@excite.co.j 大量のジャンクメール対策として末尾の「p」を削除してあります。

All Rights Reserved.

  リンクフリーです。勝手にリンクして下さいませ^^ゞ

  当サイトにはグロテスクな表現や画像が含まれておりますのでご注意下さい

 

You can link your site to this one without my approval. Send your comment or opinion to Tomato