| ティモシー・マクベイは1968年ニューヨーク北部生まれ。2つ上の姉Patty、6歳下の妹Jenniferの3人兄弟。
保守的で安定した町の出身。ほとんど白人しか住んでおらず、治安が良い地域だった。父親Billはその父親が30年勤め上げた車工場で働いていた(GM車のラジエター工場)。ゴルフと庭いじりが好きで、日曜には教会に通い、弱者のために募金をし民主党と労働組合に所属、リトルリーグのコーチを勤め、T-シャツと野球帽という出で立ちの普通のアメリカ人だった。
母親Mickeyは旅行会社で働いていたが、夫の凡人ぶりに愛想を尽かし、マクベイが10歳の時、性格の不一致を理由に離婚(1978)。裁判することもなく単に荷物をまとめて突然出ていってしまったため、残されたマクベイや父親Billのショックは大きかった。
「金曜日にすることと言えば、ピザを食べながら野球を見て、木に水をやるだけ」"Bill's
idea of a Friday night was to have a pizza, watch the ballgame and water
his plants,"の退屈な男に飽きたのだという。妻Mickeyは夫に断ることなく方々に外出することが多かったと当時の隣人達が証言している。
父親は工場で夜勤で働いていたためマクベイ達は家でほったらかされていることが多かった。マクベイの友人の母親がよく様子を見ていたが、彼は礼儀正しく、何か問題があるようには見えなかったという。スケートボードや、庭先のバスケットボールのゴールで友人達とごく普通に遊んでいた。自宅の地下室で週末に「カジノ」を開いていた。
当時一緒に遊んでいた友人達の証言によれば、マクベイは父親との関係を良好に保ち敬意を払っていたが、母親については何も語らなかったという。
学校の成績は悪かったが、やる気がなかっただけのようで、リージェンツ奨学金(Regents
scholarship)を圧倒的成績で獲得している。中学の頃から、銃に異常なまでの関心を示すようになるが、学校にいた頃問題を起こしたことはなく、前科などもない。
14歳の時、「核戦争に備えて」森の中に大量の食料を持ち込みキャンプしながらサバイバル訓練や銃の射撃練習をしていた。高校の時には付き合っていた女性はいなかった。学校には一日も休まず行っていたが、極度に痩せていたため、からかわれることがあった。人間関係は当時から苦手だったらしい。当時の複数のクラスメートも「シャイだった」と述べている。
高校卒業後、2年制のコミュニティーカレッジ(短大)にはいり、コンピュータを勉強するが「飽きた」として中退。
武装した現金輸送車の運転の仕事に就く。当時の同僚によれば、銃への執着は異常だったと言う。前を遅い車が走っているとショットガンをもって怒鳴り散らすことがあった。
次の職は銃のセールスマンだった。
1988年10エーカー(1Acre=4047 平方メートル)の森を高校の友人と共同で7000ドルで購入。それは「生き残る者の隠れ家survivalist
bunker」だったという。
陸軍に入るが、入隊テストの点数は非常に高く、特に数学や電子工学などの点数が高かった。Fort
Benningで基礎訓練を受ける間、後に共犯となるテリー・ニコルズに出会う。
爆発物を作る訓練の時、製造法をすでに知っていることを自慢していた。射撃訓練では、ほぼパーフェクトの点数を出し表彰。
黒人への侮辱的発言が目立った。同僚に金を貸したり、車で送ったりして金を儲けていた。酒や女には目もくれず、サバイバル関係の雑誌や映画を大量に繰り返し見ていた。
入隊前に買った森に、軍隊の携帯食料を大量に貯蔵、ドラム缶に水を貯めた。
ある時、妹のジェニファーが女性Ayers
Andersonを紹介するが、「照れて赤くなってしまい話し方が不自然だった」"he
seemed really awkward、He just kept
turning red."
冷戦が終わり、軍が人員削減を始めた80年代後半、グリーンベレーを目指し一日400回の腕立てふせ、40kgの砂袋を背負って走るなどの激しい鍛錬を始める。
90年11月に試験がある予定だったが、湾岸戦争が勃発し従軍のための訓練にかり出される。戦車に乗ったイラク軍将校を1マイル以上離れた場所から倒すなどいくつかの功績を認められ、勲章(Combat
Infantry Badge と Bronze Star)を受ける。ただ、グリーンベレーの試験には落ち、ひどく落ち込む。マクベイへの軍の評価は非常に高かったが、91年に自ら軍隊を辞める。
ガードマンになり安い給料で軍と関連の企業の施設を巡回する退屈な仕事に就き、父親と一緒に暮らす。所有していた森林を「新しい人生が始まる」として売り払う。その年、警備会社では責任者に昇格する。
92年地元の新聞への投稿では政府への敵意が明確に現れるようになった。
「激増する犯罪、高すぎる税金、私利私欲に走る政治家、消えたアメリカンドリーム、そして人々は自分のことしか考えていない。アメリカは衰退している」
93年、武装した反政府団体の活動に興味を持つ。ニコルズと一緒にいることが多くなり、武器を銃展示会(Gun
Show:販売の規制が甘い)で武器を売りさばく。Spotlightという右翼新聞に対戦車ミサイルの広告を出したこともある。
4月19日には、1775年レキシントンの戦いで独立戦争が開始、93年にはブランチダビディアン事件が起きている。そして、95年には168人が死亡する爆弾テロが起きることになった。
4/19日を選んだのは、2年前にブランチダビディアン事件があった日だったからで、後にジャーナリストへ出した手紙でも「政府がWacco事件について謝罪しないことはこれ以上許せない」と述べている。
|