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清浄な空気を吸いたい者は教会に入ってはならない

ニーチェ 善悪の彼岸 (自由な精神:30)

 


 

映画評論

 


 

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アメリカ

監督評

 

 

映画は演劇ではない。

演劇である「道成寺」や「アイーダ」がいかに名作であっても、現実の日常空間(例:電車やトイレの中)でやれば、ただの迷惑か異常者の錯乱でしかない。実写の映画は現実の世界を切り取ることで構成されている以上、徹底したリアリズムを追求しないと、不自然であるだけでなく「作り物」という警戒心を観客に与える。映画は、観客にカメラの存在を忘れさせて自分の世界に引き込まなければならない。

一方、演劇は日常空間ではない完全な虚構の世界を作る。歌舞伎やオペラは、舞台の上でこそ芸術になりえる。「水戸黄門」やヤクザ映画は、殺されても血液が飛び散らないが、見る人々が最初から「作り物」だと了解している「舞台演劇」の一種だから、作品の価値が損なわれない。

端的な例では、人を吊り上げるワイヤーが観客の目に見えた場合、舞台演劇では全く問題にならないが、映画では致命的な欠陥となる。

黒澤明の作品は、俳優の演技に関してはリアリズムを排除し、歌舞伎を実写で撮ったような独自の表現方法をとっている( 例:三船敏郎)。一方、ディテールの描写、例えば「七人の侍」の戦闘シーンでは徹底的にリアルさを追求している。原則として黒澤作品は独特の舞台演劇的な雰囲気が流れているが(派手な血液の噴射や三船の立ち回り)、リアリズムの比重も大きく、両極端な表現手法が貫かれている 。両者の調和が黒澤の本質で、「リアルな歌舞伎」という一見矛盾した表現に違和感がなく観客に警戒心を与えない所が卓越している。

対して、「踊る大捜査線」のように、舞台演劇にもリアリズムにも徹することが出来ない中途半端な作品は、悲劇的なまでにつまらないものになる。

例外なのは、ミュージカルを映画にした作品で、「サウンドオブミュージック」「オリバー!」「屋根の上のバイオリン弾き」「ダンサーインザダーク」など佳作もある。しかし「作り物」という前提で見なければならず、 演劇であるがゆえに撮影現場の風景を想像してしまうため、作品の世界に没頭できない。それがミュージカル映画の致命的欠点だ。

他方、リアリズム以上に作品の完成度を左右するのが「テーマ」だ。名画にはかならずモチーフがあり、世界的小説には必ず独自の思想がある。よって、観客に何を伝えたいのかが分からない作品、人の目を引くトピックを寄せ集めただけの作品、セックスと暴力を羅列した作品は、本質的意味において芸術にはなりえない。

音楽・絵画・小説という芸術形態は20世紀はじめまでは完全に分離していたが、音楽・絵画(=映像)・小説(=テーマ)が映像の登場によって三位一体したため、映画という製作が難しい芸術が生まれた。逆に三位一体であるからこそ、表現の幅が「無限大×3」になる。ここに映画の本質がある。

 

 

 

 

 

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