事件の背景
父親は長いこと国鉄の機関士を勤めていたが、気の小さいお調子者の割に女癖が悪く、愛人に子供を産ませている。大久保清の兄の証言によれば、父親は子供の前で平気で性交したり、遊郭で遊び性病にかかることもあった。父親は食管法・道交法違反による前科2犯。大久保の兄の妻を強姦したため、彼女は家を去った。
大久保は、幼少期には溺愛されており、わがままで嘘つきだった。学校の記録には「学習に熱意なし。口にすべからざる事(卑猥語)を平気で言う」とされている。成績は悪かった。
小学校6年のとき、米兵と売春婦が野外で性交しているところをのぞく。また、4歳の少女の性器に石を詰めて問題になったことがある。
中学の行動記録によれば、感情的で情緒不安定、協調性がなく、他人を信用しない、とされている。中学3年のとき、大久保の父親に強姦されたとして兄の嫁が家を出て行った。中学卒業後、両親の農作業を手伝うが働きぶりは怠惰。2年後、両親の強制で定時制高校に進学するが1年で中退。この頃、のぞきで何度か捕まっている。
東京に働きに出るが、のぞきと勤務態度が問題となり解雇。電気店を経営する、姉の夫のもとで電気工事の訓練を受ける。母親から金をせびっては売春宿に通う。

19歳で故郷に戻り、父親に金を出してもらってラジオの販売と修理の会社を設立するが倒産。以後、定職に就くことはなく、親から小遣いをもらいながら、「法政大学の学生」と称し、15-28歳の女性に毎日のように声をかけていた。
20才で女子高生(17)を強姦し、懲役1年半執行猶予3年の判決を受ける。反省はなく、「嘘つき女に引っかからないように」誓ったという。執行猶予中のその年、女子高生に対する強姦致傷で懲役3年半の実刑判決を受ける。
出所してすぐの25歳のとき、24歳の女性を強姦しようとして告訴されるが、両親が金銭で解決しようと努力し女性が告訴を取り下げたため、不起訴になる
27歳で20の女性と結婚。妻は広大な農地での作業を強いられるが、大久保は働くことはなかった。結婚後も女性に声を掛けまくる生活は変わらず、妊娠させたことがある。
父親から資金援助受け牛乳配達店を開く。しかし、少年が空き瓶を持ち去ろうとした時、彼の両親から現金を脅し取ったため、恐喝罪で有罪となる。(懲役1年猶予4年)
この裁判のときに、妻は大久保の強姦の前科を始めて知る。
31歳(1966)のとき、二人の女性を強姦し4年6ヶ月の有罪。このときの供述で「警察・検察が自分の言い分を聞こうとしないことに腹を立て自暴自棄になった」と述べている。刑務所の中では模範囚で4回の表彰も受けている。1971年仮釈放され、
日本の犯罪史上に不朽の名を残すことになる。
父親にマツダ・ロータリークーペを買ってもらい、職に就かず女漁りを続けながら、殺人を繰り返す。1件の強姦致傷と8人の殺害で死刑判決、控訴しなかったため1審で死刑が確定。
判決文は「被告人は改悛の情を示すことは全くなく、何ら責めるべき理由もない女性を殺すことが権力への反抗を示すものであると称し、・・・・・・・・・殺人と結びつくはずもない兄への憤怒を述べ立て、・・・・・自己の行為を虚偽で塗り固め美化しようとしている。死刑廃止の論議に十分配慮しつつも現行刑法に死刑が存在する以上、本件は極刑をもって臨む他はない (要約)」
1975/01/22、東京拘置所で絞首刑。41歳だった。
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