[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

 

 

ロバート・ブラック

1947421日生まれ(イギリス・エジンバラから20マイルほどの小村Grangemouth

幼女に異常な性欲を持つ異常者で、若い頃から無数の猥褻事件を繰り返している

3件の殺人と2件の誘拐で終身刑。現在も殺人については無罪を主張

物的証拠は全くなかった

Robert Black

 

1947421日生まれ(イギリス・エジンバラから20マイルほどの小村Grangemouth。母親ジェシーは出産時24歳で未婚、出生証明書に相手男性の苗字を書くのを拒んだ。1947年当時、未婚女性の妊娠と出産は不道徳とされており、工場の女工として低賃金で働いていたため養育する経済力はなかった。そのため、生後6ヶ月でブラックは里子に出された。ブラック本人は両親の記憶は全くなく、後の精神科医のとの面談で、里子に出された理由や背景について「分からない」と答えている。

母親ジェシ−はブラックを里子に出した後に結婚、4人の子供をもうけるが、結婚相手はもちろん、子供達もジェシーがブラックを出産していた事実を知らなかった。一家はオーストラリアへ移住、ジェシーは1982年に死去。死ぬまで息子ブラックと会うことはなかった。ブラックの父親が誰であるかは誰にも言わないままだった。

 ブラックを引き取った50代の夫婦はそれまでに何度か里子をもらっている。5歳で養父が死亡しているが、後に精神科医に語ったところによれば、ブラックは養父のことを全く覚えていないと述べている。近隣住民の証言によれば、少年時のブラックは体に無数のあざがあったとされるが、ブラック本人は体の傷の原因や養父からの虐待の事実を全く覚えていないと言っている。ただ、悪いことをした場合に養母によって狭い部屋に閉じ込められたり、下着をおろして尻をベルトで殴られたことは覚えていると言う。また、毛の生えたモンスターに襲われる悪夢にうなされて小便をもらしたため、養母から度々殴られたという。


 

小学校の時の同級生によれば、ブラックのあだ名は「Smelly Robbie(臭いヤツ)」、性格は攻撃的でわがままだった。また、一匹狼で友人と遊ぶことはなく、妙に威張り散らしていたという。2-3年下の子供を集めて「ギャング」を組織しリーダーとして振舞った。部下の少年達を殴ることも多く、殴り方は常軌を逸していた。ブラックは1990年に逮捕された後、精神科医に8歳の頃から金属を肛門に挿入していたと述べており、逮捕後の家宅捜索では、肛門にワインのビン・テーブルの足・電話を挿入したブラックの写真が押収された。

フロイトがペニスを持たないことに少女が劣等感を持つと言ったのには正反対だが、ブラックはこの頃、「女になりたい」という漠然とした憧憬を持っていたという。8歳の時、近所の女児の世話をしてオムツを外した時、女性器と肛門に魅了されたという。また、大便を顔に塗ったとも述べている。ただ、こうした証言はどこまで本当かは定かではない。

なお、ブラックは同性愛者であったことはない。

 


養母は1958年に死去するが、当時11歳だったブラックは施設に預けられた。12才の時、悪友と共に同年齢の少女への強姦未遂事件を起こす。犠牲者の下着を下ろして性器を触っただけで、性器の挿入には失敗した。その後、別の更正施設に移されたが、そこで男性の職員から日常的にフェラチオを強要されていたと述べている。 

学校(Musselburgh Grammar School)での成績は中の上程度だったが、運動能力は高かった。後、20代になってからサッカーのプロテストを受けている。また、水泳が得意でライフセーバーとして働いていたことがある。

 ブラックが15歳だった1962年中学を卒業し都会に出る。グラスゴー近郊で配達員の職を得たが、後の供述によればこの頃30-40人の少女に猥褻行為を繰り返していたという。17歳の時、17歳の少女に公園で声をかけ人気のないビルに連れ込んで強姦未遂。ブラック本人によれば、首を締めたため犠牲者は気を失ったが、それが逆に性的興奮を増幅した。性器に指を挿入し、マスターベーションをした。犠牲者の少女は、泣きながらふらふら歩いているところを保護された。この事件は警察沙汰になるが、突発的なものであるとしてブラックは「訓戒」だけで釈放された。事件後、保護観察官の判断で生まれた村Grangemouthに転居させられている。 

ブラック本人によれば、人生でただ一人「正常な」付き合いをした女性Pamela Hodgsonという女性と婚約したと述べている。彼女からは手紙で別れを告げられた。後、殺人罪で起訴されたブラックは、「この事件とお前は関係ないってパメラに伝えてくれTell Pamela she's not responsible for all this.」と述べた。 

 建設資材会社に勤めていたブラックは、1966年、住んでいた家の大家の孫娘(9歳)に猥褻行為をして家を追い出された。警察沙汰にはならなかったが、少女の体を触り、性器に指を入れた。

 小村で噂はまたたく間に広がった。ブラックは会社を解雇され、転居せざるを得なかった。しかし、転居先の家で再び7歳の少女に猥褻行為を働いて逮捕。1年間少年院に送られた。

出所したブラックは小村を離れロンドンに出た。1970年代は一度も捕まっていないが、幼女への病的な執着はますます増幅していった。規制の緩いアムステルダムで出版されていた児童ポルノを大量に収集、のち1990年に逮捕された時にも自宅からは大量の児童ポルノ雑誌とビデオが押収された。逮捕後の精神科医との面談では、性交の「同意年齢」は何歳が妥当かと問われて、「体の大きさが十分なら年齢は関係ない」と述べた。

 

プールの監視員の職を好み、少女が泳いでいるのを食い入るように眺めた。そして夜になるとホウキを肛門に挿入して女子トイレに忍び込んだと言う。少女の体に触ったとして解雇、警察が呼ばれたが釈放。

 居酒屋でアルバイトをしている時に知り合った夫婦の家の一部屋を借りた。この夫婦による起訴後の証言によれば、「家賃の支払いが遅れることは全くなく、問題がある人間には見えなかった。ただ、親しくなることはなく親しくなりたいと思うタイプでもなかった。子供達は彼を臭いオジさんと呼んでいた」

 1976年から86年までトラック運転手として働く(Poster Dispatch and Storage)。解雇の理由は事故を度々起こしたためで、犯罪行為ではなかった。ただ、トラックの中では、肛門にビンを挿入して、少女の水着や衣服を使って自慰行為を繰り返していたことを認めている。


 

小村の農家の娘Susan Maxwell11)がテニスに出かけて失踪(夕方)。村の2/3の人口が自発的に捜索に協力した。失踪から2週間後の1982813日(金曜日)、失踪地点から400km離れた幹線道路わきの排水路で、少女の腐乱死体が発見された。遺体は夏の太陽にさらされていため損傷が激しく、死因の特定は困難だった。歯の治療記録からSusan Maxwellであることが確認された。遺体は下着を着けておらず、ズボンが首に巻きついていた。

犠牲者の父親がジャーナリストだったこともあり、この事件はマスコミに大きく取り上げられ19000人のトラック運転手が事情聴取を受けた。コンピュータが導入されていなかった当時の警察は、これらの膨大な情報を的確に分析することが出来なかった。

 


198378日エジンバラ近郊の海辺のリゾート地PortobelloCaroline Hogg5)が公園で失踪(夜700頃)。警察とボランティア合わせてのべ2000人が捜索に当たった。「薄汚い男と手をつないでいる少女を見た」という情報が多数寄せられたが、犯人は捕まらなかった。それは前回の事件と同様、誘拐した翌日には数百km離れた場所まで移動していたからだった。母親Annette Hoggは記者会見を開き、「娘を返してください。家に返してくださいbring her back... Please, let her come home」と泣きながら訴えた。

10日後の718日、誘拐場所・自宅から480km離れた道路わきで、少女の腐乱した全裸死体が発見された。やはり遺体の損傷が激しく死因の特定は出来なかったが、髪飾りなどから失踪していたCaroline Hogg5)であることが確認された。

 2件の事件は同一犯の可能性が高いとして、4地方の警察が合同で捜査することになった。寄せられた膨大な情報や聴取記録はコンピュータでデータベース化されたため、捜査効率が飛躍的に向上した。しかし、目撃情報による似顔絵に合致する近隣の疑わしい人物600人、2万台の車(青のフォードCortina)を当たるという「従来型」の捜査方法にも大量の人員が投入された。つまり、広い範囲を警察の管轄を超え、面識のない被害者を連続で襲うテッド・バンディ型の犯人には、「従来型」で対処すると犯行が連続してしまう典型的事例だと言える。

犯行現場が互いに40km程度しか離れていなかったため「土地感のある犯人」と即断したことも失敗の一因だった。(ただし、FBIの統計によれば、犯行現場から30マイル以内に犯人が居住する確率は95%以上に上る)

 結局、1年たっても手がかりは何らつかめないまま、捜査は難航していた。

 


 

1986326日、Sarah Harper10)が自宅から90mのパン屋に出かけたまま失踪(朝1000

416日犬を散歩させていた通行人が川に浮いている水死体を発見。肺の中に水が入っていたため、生きたまま水の中に遺棄され溺死したと見られた。膣と肛門を激しく犯されたらしく、内股から性器にかけての傷は激しかった。

 この事件には、ピーター・サトクリフの事件用に開発されたシステムHOLMESHome Office Large Major Enquiry System)が初期段階から導入された。これはデータを入力すると容疑者や車などの情報を瞬時にリスト出力できるものだった。しかし、システム上の欠陥から今日のような精度を発揮することが出来ず、またも捜査は難航した。


 

ブラックの逮捕は全くの偶然で、通行人が誘拐現場を一部始終詳細に目撃していたためだった。1990714日(快晴・昼)、Mandy Wilson6)が友人宅に向かって歩いていたところ不審なバンが近づいた。

通行人の男性は車から下りてきた男がマンディーを助手席側ダッシュボードの下に押し込め、エジンバラ方面に猛スピードで逃走するところを詳細に目撃。男性は車のナンバーを警察に通報。

マンディーの半狂乱になった父親と警察官に、男性がで犯行現場で説明している最中に、ブラックの車が通りかかった。「あいつだ!」という絶叫と共にブラックは逃走を図るが警官に取り押さえられた。

車の後部座席には口に粘着テープを貼られ寝袋に詰められたマンディーがいた。命に別状はなかった。現場に居合わせたマンディーの父親はその時の様子をこう述べている。

「娘はおびえきっていました。口に貼られたテープをはがしてあげましたが、言葉を発することが全く出来ませんでしたShe was so terrified as I untied her and took the tape from her mouth that she didn't utter a word.

 

ブラックは逮捕される前、マンディーの下着を下ろし性器をなでまわしていた。逮捕後、精神科医との面談の中で逮捕されていなかったらマンディーをどうしていたかと問われ、以下のように述べている。

「(運転手なので)品物の配達を終えてからヤルつもりだった。下半身だけ服を脱がして、口のテープは取っただろう。ただ、騒いだら口はふさいだね。“When I'd done the delivery in Galashiels down the road, I would have assaulted Mandy sexually.  I would have probably stripped her from the waist down, but I would have untied her and probably took the plaster off her mouth.  And if she called out when I was assaulting her, then I might have put the gag back on.”

 

また、別の心理学者には、「膣にどの程度の大きさの物が入るか確かめただろう」「いつも使っているペンを入れてみただろう」とも言っている。さらに

「死んでしまったとしてもそれは純然たる事故だ(If she had died it would have been a pure accident

 

警察での供述では殺人以外は積極的に証言。犯罪歴、過去に一度だけ女性と正常な交際をしたこと、自慰行為の嗜好、幼女への性的嗜好の詳細、思い描いていたファンタジーの内容、などを証言した。しかし、話が殺害の具体的部分に触れると急に無口になった。そのため、警察はブラックの過去数年の行動を調べなければならなかった。

警察は勤務先の業務記録、クレジットカードの明細などを調査し状況証拠を積んでいった。同僚の証言などから殺害推定日の直後に配送ルートの変更を申し出たり、被害者達の失踪当日に現場に付近の配送先に荷物を届けていたことなどが次々と明らかになった。

ただ、物的な証拠は検察・警察側には全くなく、1990年のマンディー誘拐と1988428日に15歳(小柄で童顔)の少女を襲った強制猥褻未遂事件の目撃証言だけが有罪に持ち込める証拠だった。厳しい尋問にもかかわらず、ブラックは自白を拒否し続けたため、3件の殺人はいずれも状況証拠と曖昧な目撃証言しかそろっていなかった。

 

検察側が裁判で指摘した3件の殺人の類似性

     犠牲者は全員少女

     遺体の状況から殺害が性的動機による

     遺体は殴打した痕跡がなく骨が折れていない

     誘拐に車を使用

     遺体の発見場所が26マイル以内に集中

     遺体は隠した痕跡はない

     遺体は白い靴下を履いているが靴を履いていない

 

検察側はこれらの類似性がブラックの犯した誘拐未遂2件の犠牲者にも合致するとした上で、ブラックの犯罪歴・自宅から押収された大量の児童ポルノ・勤務先の業務記録などさまざまな状況証拠を積み上げた。

一方の弁護側は、殺人については全く物的証拠がなく、物的証拠を見つけられない警察がブラックをスケープゴートにしていると主張。 

結局、陪審は有罪と評決、判事は終身刑を言い渡した(イギリスに死刑はない)。

仮釈放は最も早くて2029年、その年ブラックは82才になる。

 


<ロバート・ブラック事件の解説>

ブラックは今日も殺人はしていないと主張しているが、一方で未解決の幼女殺害事件10件以上がブラックの仕業であるという主張もある(物的証拠はない)。

この事件で問題になるのは、物的な証拠が全くないまま陪審が有罪を認定したことだ。確かにブラックは幼女に性欲を持つ異常者だが、それは殺人の証拠にも動機の証明にもならない。

特に19864月に発見されたSarah Harper10)の遺体は掘り起こして最新の技術で調査しなおすべきだろう。事件が30年前におきていたら、白日の下にさらされたイギリスの法医学のレベルの低さも納得できるが、15年前の新しい事件であることは注目すべきだ。(逮捕が1990年、結審が1994年)

なお、ブラックの裁判にかかった費用は100万ポンド(1.7億円)。

 

 

 

 

 

           ●トップ    ●掲示板  ●猟奇殺人犯アーカイブ    ●猟奇殺人の研究

 

プロファイル研究所 管理人とまと 

連絡先 9tomato@excite.co.j 大量のジャンクメール対策として末尾の「p」を削除してあります。

All Rights Reserved.

  リンクフリーです。勝手にリンクして下さいませ^^ゞ

  当サイトにはグロテスクな表現や画像が含まれておりますのでご注意下さい

 

You can link your site to this one without my approval. Send your comment or opinion to Tomato