| 「八つ墓村」の「三十二人殺し」のモデルとなった事件。
岡山県津山市の隣に位置する苫田郡内の戸数23の小村で、精神分裂病の21歳の青年が、日本刀や猟銃で30人の住民を殺した事件。社会が精神障害者を受け入れるシステムを持っていなかったことが原因の1つとなっている。
この事件に関しては、松本清張の『ミステリーの系譜』(中公文庫)、筑波昭の『津山三十人殺し−村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか』(草思社)などのドキュメントがある。また小説としては、映画にもなった西村望の『丑三つの村』があり、島田荘司の『龍臥亭事件』の題材としても使われている。
なお犯人の名前は分からなかったので(都井睦雄・土井雄三?)、Aとする。
Aは苫田群加茂町大字倉見で生まれたが、2歳で父、3歳で母と死別。祖母の元で姉と育てられたが相当の資産も残され比較的裕福だった。
11歳のとき祖母の出生地である西加茂村に一家で移る。この頃から家が傾くが、中の下の生活ながら祖母の溺愛のもとに小学校に通学した。欠席は年間数十日に達するなど生まれつき虚弱だったが、頭脳は明晰で成績は常に優秀だった。体育が不得意であったためクラスでの成績は2番が多かったが、学科では首位であったといわれている。
成長するに従いわがままとなり、病気を理由に家業を怠け、青年団・部落・隣人との交渉をさけるようになる。姉が嫁いでからは更に陰鬱さを増し、肺尖カタルと診断され自宅療養中、父母が肺結核で死亡したことを聞いて自分も遺伝であろうと思いこんだ。結核は伝染性があり不治の病であると思われていた。結核のために親しい女も彼を避け、陰口を叩くと思い込むなど精神分裂病の兆候が表れる。社会をひがみ、近隣の婦女に関係を強い、やがて去られると逆恨みした。
昭和12年5月徴兵検査を受けたとき軍医から静養するように注意され、不治の病と悲観して、さらに自暴自棄となった。婦女に挑み関係を迫り応じても関係を継続しないと激怒した。いつしか世間にも噂が広がって冷笑されるようになった。
Aは自分が正しいと固く信じ、いつしか報復を考えるようになった。不動産を担保にして猟銃を買い狩猟免許を取った。狩猟と称して山中に入り、松を人間と見立てて胸部・腹部にあたる高さを猛獣用実弾で打ち抜く訓練を続けた。またこのごろからことごとく「殺してやる」「生かしておかぬ」など、口ばしるため、昭和13年3月12日、近隣の者から駐在所へ「説諭してほしい」と申告があり、本署から警察官2名が派遣されたこともあった。
昭和13年5月21日深夜1-3時頃に事件はおきた。
頭の両側に2個の棒型懐中電灯を固定し、胸にも自転車用の角型電灯を吊ったAは、腰に日本刀を差し込み、懐に短刀、猟銃・弾薬袋を持ち、巻脚地下足袋という装備で村人を襲撃した。まず、送電線を切断した上で完全な暗闇となった部落内過半数の家々を襲った。祖母の首を大斧で切断、幼児・老婆の見境なく発砲・刺殺し、午前3時ごろに逃走した。
当時西加茂駐在所が不在のため数キロ隔てた津山警察署加茂駐在所に村人の一人が届出たのはAM2:40、最初の通報では十数名の即死者とのことだったが、最終的には30名の死者、重傷1名、軽傷2名にのぼった。
津山署・付近の警察、消防組、青年団約2千名の大包囲陣による山狩りが夜明けとともに開始されたが、AM10:30、西加茂村大字楢井字仙之城の山林中台地で、銃を自分の心臓に当て足のつま先で引き金を引き自殺を遂げていた。服装を解き、血に染まったシャツを新しいものと着替えていた。逃走途中の民家で強いてもらい受けた雑記帳紙片には姉に宛てた遺書が書かれていた。
司法省刑事局報告にはこう書かれている。
本件は昭和13年5月21日午前1時頃より同3時頃までの間に、岡山県津山市の北方約6里の苫田郡N村の一部落に発生した一青年の凶暴凄惨極まりなき犯行である。犯人はまず自己が幼少より慈育された祖母の首を大斧にて刎ね、ついで九連発猟銃及び日本刀その他の凶器を携え、異様の変装をなし、民家11戸を襲い、僅か1時間足らずの間に死者30名重軽傷3名を出したるのち、同日午前5時頃現場付近で猟銃自殺を遂げたもので、我が国のみならず、海外に於いても類例なき多数殺人事件である。
八つ墓村(市川崑監督:主演豊川悦司)
実際の事件を忠実に再現した作品ではない。作品単体としてはいい作品で、脚本の構成も卓越しているが、役者たちのわざとらしい演技が非常に気になる。驚く時、死ぬ時に、舞台演劇的な定型化された大げさなリアクションがあり、修復不可能な悲劇的な傷となっている。
見るなら、松竹・昭和52年の同名作品を見るべき。(主演・萩原健一、原作・横溝正史)
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