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体を自分のものにしたかった。死体は腐ってしまうがビデオなら何度も見られる

 

 

 

宮崎 勤

 


 

97年4月14日 東京地裁で死刑判決      

中流家庭の生まれ。

父親は印刷工場経営(宮崎の逮捕後自殺)、ここで手伝いをしながら妹と同居。

祖父を尊敬しておりその死亡時には遺灰を食べている。

初犯は祖父の死後3ヶ月。

手に障害をもつ。先天性撓尺骨癒着症(両手を上に向けられない)」が負い目になって、成人の女性に近づけなかった。精神分析では、手を切り取ることは「去勢」の象徴的行為とされている。ロリコン暴力などのビデオ6000本をコレクション

前科無し

なお、「ロリータコンプレックス」とは、ロシアの作家ナボコフの、12歳の少女への中年男性の愛を描いた小説「ロリータ(1958)」に由来している


 

88-89年に自宅から19km圏内で4人の幼女を殺害、遺体を切断した。遺灰を被害者宅に送りつけた

89年7/23幼女を裸にして写真を撮っているところをに、幼女の父親に見つかって逮捕。連続殺人を自供。

カニバリズムが見られ最初の犠牲者の両手は切断して食べた。

「(女児の)体を自分のものにしたかった。死体は腐ってしまうがビデオなら何度も見られる」ビデオを撮影したことに関して。

逮捕後の捜索で自宅から大量の児童ポルノ・ホラー映画など6000本が発見

父親は支店を構えて独立しろとせきたて、母親は見合いの話を進めていた。小田晋(精神科医:筑波大教授)は;

見合いをすれば成人の女性と対面しなければならない。結婚すれば性不能が明らかになってしまう。それは彼には耐えられないことだっただろう。

 

 

ロバート・レスラーによれば、宮崎は「選択型サディストの小児性愛者」だという。(Robert=K=Ressler I have lived in the monster)

その特徴は以下。

  • 長期にわたって固定した行動パターンがある
  • 幼少期にほぼ例外なく(性的)虐待を受けている(父親が死んで「スッとした」とのべている)
  • 10代の頃から限られた人間関係
  • 犠牲者となる幼児を危険を冒してても獲得しようとする
  • 25歳以上の未婚者
  • 一人暮らしか両親と同居
  • 大人の女性とはつきあえない
  • 子供や子供に関係あるものに異常な興味示す
  • サディズム
  • 犯行に反省を示さない
  • 治療法は存在しない

 


 

事件の発生    

今野真理(4)

失踪日時は昭和63年8/22。場所は入間市の自宅マンション近く。事件の展開は平成元年2/06、自宅マンション玄関前に、遺骨(自宅の焼却炉で)、歯片などの入った段ボール箱が置かれる。声明文には「真理」「焼死」「鑑定」「証明」「遺骨」とワープロで記述されていた。

同月11日、犯行声明文が届く。同年8月13日、宮崎勤が犯行を自供。

吉沢正美(7)

失踪日時は昭和6310/03。場所は飯能市の自宅近くの原市場小近く。事件の展開は元年9月5日、誘拐して絞殺、遺体を自宅近くの小峰峠の山中に捨てたと宮崎は自供。     

難波絵梨香

失踪日時は昭和63/12/09。場所は川越市の自宅マンション近く。12/15、入間群名栗村の山林で全裸の絞殺死体で見つかる。翌8/13、宮崎が犯行を自供。

野本綾子(5)

平成元年6/6日失踪。宮沢湖霊園内の簡易トイレの裏で両手足首が切断された全裸死体で発見。手の障害を嘲られたことに逆上し殺害。手首は食べたという。


 

起訴と公判開始  

 東京地裁刑事第2部(中山善房裁判長)。  初公判で検察側は、書証770点とビデオテープなど物証35点を証拠申請。これに対し弁護側は、被害者の遺族の調書など342点に同意。弁護側が同意した書証は、検察官が要旨を告知する。この告知は、まず第2回公判で行われ、「真理ちゃん事件」の調書もあった。   

3月31日 「善悪を判断し、その判断に従い行動する能力は保たれていた」と責任能力を認める保崎鑑定書提出

11月11日 初の被告人質問で「祖父の遺骨を食べた」と供述。弁護側が再鑑定を申請          

12月18日 再鑑定を内沼帝京大教授、関根東大助教授、中安東大助教授の3人に委嘱。公判中断       

【94年】

11月25日 「多重人格を主体とする精神病で、善悪の弁識能力などが若干減弱していた」として責任能力は限定的とする内沼・関根鑑定書提出。この鑑定はDSM-V-Rに基づいていたため、DSM-Wが出た後、多重人格障害から「解離性同一性障害」へと鑑定が変更された。

12月19日 「精神分裂病で心神耗弱に相当するが免責される部分は少ない」ととする中安鑑定書が提出     

【96年】 

10月7日 検察側が死刑を求刑      

12月25日 弁護側が最終弁論で「心神喪失か心神耗弱だった」と主張    

【97年】 

4月14日 東京地裁で死刑判決      


 


 

【主文】  被告人を死刑1)に処する。  

【理由の骨子】  

1 被告人は、入間市の幼稚園児2)(当時四歳)の誘拐・殺害・死体損壊、飯能市の小 学一年生(当時七歳)の誘拐・殺害、川越市の幼稚園児(当時四歳)の誘拐・殺害・死 体遺棄、江東区の保育園児(当時五歳)の誘拐・殺害・死体損壊遺棄、八王子市の幼女 (当時六歳)の誘拐・強制わいせつにつき、いずれも有罪。  

2 被告人は、犯行時、性格の極端な偏り(人格障害)以外に反応性精神病、分裂病等を含む精神病様の状態にはなく、完全責任能力を認めるのが相当である。  

3 本件は、まれにみる凶悪重大な犯罪であり、その罪質、犯行の回数、その動機・ 目的、経緯、態様、結果の重大性、社会に与えた影響、遺族らの被害感情等に照らすと 、生来の両手の障害等に起因する被告人の性格のゆがみが本件犯行の背景にあること、 慰藉(いしゃ)の措置の一部として遺族らに各二〇〇万円が送金されたこと等被告人に つき酌むべき一切の事情を最大限に考慮しても、死刑を選択するほかはない。  


「今田勇子」の犯行声明


(1989年2月10日、11日)

 今野まりちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です。
 この、真理ちゃん一件に関しては、最初から最後まで私一人でしたことです。私がこうして真実を述べるのには、理由があるからです。
まず、あの段ボールに入った骨は、明らかに真理ちゃんの骨です。
その証かしを立てます。
 まず、どうやって連れ去ったかを述べましょう。
 去る8月22日、私は、私には、どうしても手をのばしても届くことのない子供を、今日一日は自分のものにしたい思いにかられ、入間ビレッジの8号棟裏に車を止め、あのプールでは、親に送り向かえをされない、一人で行き帰りをする子供達の方が多いことを、日頃から知っている私は、そのプールの出口付近に一人で立っていました。
 すると、真理ちゃんと、兄弟の男の子と二人が出て来て、ポストの所で別々になり、真理ちゃんは、一人で家に帰る様子でした。水着で歩いて行くので、家が近い筈だとにらみ、つけ回す距離も短くてすむと思ったのです。……思った通り、真理ちゃんは家へ入りました。母親も中に居たよウです。さて、私は、母親の顔を見てから立ち去ろうと思い、7号棟入口付近に立っていましたが何と真理ちゃんが、すぐに出て来たのです。……そして、真理ちゃんが歩道を渡ると私は確信したので、私は、通りを走って、歩道橋の向こう側から走ってのぼり、上で真理ちゃんを待ち伏せ、言葉をかけて、真理ちゃんをつかまえます。うまくいったといウより、女同志でしたので、真理ちゃんは怪しまなかったと説明した方が適切でしょう。話しが、思ったより、思い通りにまとまり、「私が、車のクーラーを先に行って、かけているから、少したったら来てね。」と言って、先に車へ行き、乗って待った所、すぐに真理ちゃんは一人で来ました。……
 そして、車を出しました。さすがに、「私をどこに連れてくの。」と、いつ聞かれるかひやひやしていましたが、急に、「私、泳ぎたいの。」と、真理ちゃんが言い出したのです。願ってもない展開でした。即座に、「おばさんもちょうど、川へ行きたかったところなの。」と、口を合わせました。……
 とある川に着き、車を降り、二人で歩いて川まで行きます。やはり数人の人とすれちがいました。が、私達が、親子に見えたのでしょう。一人も怪しむ人は居ませんでした。
 ここに証しの一つを立てましょう。新聞やテレビで、よく真理ちゃんの写真が掲示されましたが、プールからあガった真理ちゃんのぬれた髪は、その、どの写真の髪型のものでもありません。これは私しか知らない事実であります。つまり、たとえ私達を目撃した人が、真理ちゃんを見たにしても、“テレビでお捜しの真理ちゃん”を見ていないのです。
 そこで、真理ちゃんを泳かせ、真理ちゃんを見守るのではなく、私達二人を誰かが見ていないかどウカを見守ります。居る様子はなく、来る様子さえありませんでした。すると、誰も来そウにないという気が集中して、異様な程に、胸が高まってくると、なぜかモヤモヤしてきました。そして、子供を産むことが出来ないくせに、こうして目の前に自由な子ガイルといウ、自分にとっての不自然さが突如としてぶり返し、「このまま真理ちゃんを家に帰しては……」といウ思いのよぎりと、「今なら誰も見ていない」といウ思いのよぎりガ交差し合い、モヤモヤした、とめどもない高なりガ一気に爆発し、目の前の水を武器に、私は、真理ちゃんの髪の毛をつかみ、顔を川へ沈め、決して自分ガ、いいといウまで、頭を水面から上げさせませんでした。……
 さあ、今度は隠さなくてはなりません。私は、近くの、背たけ以上もある夏草の茂みの中へ、だっこをして持って行き、そこへ置いて逃げました。
走りながら、おしゃべりをしていると、雨が急に降ってきました。その時、私に、口実が一つ増えました。「雨が降ってきたから、入間川じゃない川へ行こうね。」と言い、さらに、理由良くして、団地から遠ざかります。
 とある川に着き、車を降り、二人で歩いて川まで行きます。やはり数人とすれちがいました。が、私たちが、親子に見えたのでしょう。一人も怪しむ人は居ませんでした。
 そこで、真理ちゃんを泳がせ、真理ちゃんを見守るのではなく、私たち二人を誰かが見ていないかどうカを見守ります。居る様子はなく、来る様子さえありませんでした。すると、誰も来そうもないといウ気が集中して、異様な程に、胸が高まってくると、なぜかモヤモヤしてきました。そして、子供を産むことができないくせに、こうして目の前に自由な子ガイルといウ、自分にとっての不自然さが突如としてぶり返し、「このまま真理ちゃんを家に帰しては…」といウ思いのよぎりと、「今なら誰も見ていない」といウ思いのよぎりガ交差し合い、モヤモヤした、とめどもない高なりが一気に爆発。
 さあ、今度は隠さなくてはなりません。私は、近くの、背たけのある夏草の茂みの中へ、だっこをして持って行き、そこへ置いて逃げました。
 真理ちゃん宅に段ボールを置いた後の報道以来、犯人は今まで遺体を隠し持っていたと思われていますが、とんでもありません。いちいち持ち運ぶ余裕など、犯人にあるわけがありません。私は、つい最近まで、私しカ知らない場所で、真理ちゃんを持ち続け(置き続け)ていたのです。
 では、どうして真理ちゃんの遺骨を運ぶようなことをしたのかを説明します。
 真理ちゃんを手にかけた翌日、ニュースで「真理ちゃんが不明となり、まだ見つかっていません。」と聞きました。「ああ、まだ、あのままなのか」と思うと同時に、「行ってみようかよそうか」の迷いが消えたので助かりました。ところが別の番組で「真理ちゃんの母親が寝込む寸前」だと聞かされた時は、今まで「真理ちゃんに悪いことをした。」とだけ思っていたのが、初めて「真理ちゃんを可哀そうに」と思いました。
 私は、今の今まで、一人で苦しんできました。正美ちゃん、絵梨香ちゃんの事件が起こりました。おそらく、私の事件に、触発された誰かが、面白半分に起こしたのでしょう。テレビで父親が、「(死んでいても)早く見つかって良かった。」と、話しているのを見て、初めて私にも何か決心じみたものが芽ばえました。「夜ならば、真理ちゃんの遺体を、そのうちにみつかりそうな場所まで運べるかもしれない。」と思いました。
 そして、やはり、また、やろうかよそうかと迷い続けてきましたが、先日、やっと決心が着き、実行することにし、現場へ行きました。
 ところが、どウでしょう。てっきり、冷たくかたくなった人間ガそこに居ると思っていたのに、何とそこには、真理ちゃんの骨だけになっているではありませんか。私は、思わず「ギャーッ」と悲鳴をあげそうになる程、近づくのもいやになり、もう私は何があってもたずさわるものかと一目散さんに逃げました。ところが逃げながらも、故か一つ何かが頭に浮かんだのです。「骨なら箱に入る。骨だから箱に入れて、人に見られても運んで行ける。」
 と、急に、利点が頭に浮かんだのです。そして、逃げるための走りが、実行に移す(箱をとりにゆく)急ぎ足へと変わったのです。今の今まで、どうにかして、良心に知らせたくてしかたがなかったのですが、今回こうして、真理ちゃんが骨になっていさえしなければ、家まで帰そうなんて気にはならなかったです。
 これは明らかに、真理ちゃんの骨です。遺骨を焼いていたら自然に骨は崩れてゆき――人間は骨になると、まず、その骨は、予想以上に小さくて、少なくなるんですね。箱には、拾った骨を全て入れたつもりです。今、この一件が、「恨み」だとか、「いたずら」「いやがらせ」「挑戦」だとか言われていますが、全く違います。私は、あくまでも、真理ちゃんを「帰し」に来たのです。
 私はただただ真理ちゃんを帰しに行ったのです。ですから早く、真理ちゃんの御葬式をあげてやって下さい。あれが真理ちゃんなのです。本当なのです。
 誠に身勝手ながら、私は、やはり捕まりたくはございませんが、このようなことは、もう決していたしません。
 先日、テレビを見て、母親が警察から誤報を聞き「これでまた待つ希望が持てました。」と話しているのを見た時に、これは、きちんとすませてあげなければいけない。このままでは、本当に永久に真理ちゃんに気付かずに、家族は一生を終わってしまうと思い、これだけはと、急いで声明文を送った次第です。
 あの骨は、本当に真理ちゃんなのですよ。







今田勇子の告白文
(1989年3月11日)

 御葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました。御陰様で、私の子、共々、やっと「お墓」に葬ってやれることができました。
 子宮等の事情で、子宝に恵まれない方々に対して偏見をもたらせてしまいましたことを深くお詫び致します。
 私も、あなた方と同じですが、今、言ったように、子供が産めない理由で、子供を殺すようなことをする筈がありません。
 では、どうして真理ちゃんをあやめたかについて告白いたします。
 私は、私の不注意からなる不慮の事故で、5才になる、たった一人の子供を亡くしてしまいました。高齢と切開の事情で、今までの目の前にいたその子供をみると、むしょうに、手が届かなくなる圧迫感にかられました。無念の一語で、子供をふとんに寝かせたままその日が過ぎ、頭の中もぼやけてきました。何を思ってか、砂糖湯だとか、湯たんぽを買いに行くのは、なぜか、看病のことしか頭になく。それでも、いつの間にか、防腐剤まで買ってきていました。
 子供を、いつも寝ているようにして寝かしたので、いつのまにか硬くなった子供の両手を合わせてやることさえ出来なくなっていました。この時程いけないと思ったことはありませんでした。せめて着がえだけでもしてやろうと、大きめのパジャマを用意し、上着をハサミで切って、とりのぞき……。すると、体に赤い斑点ができていました。虫が喰って入いった形跡などないのに、まるで日の丸のように、判子でも押したかのように、赤い斑点が出来ていました。「変わってしまうんだなあ。」と思いました。
 やがて子供の顔が、老人のようになってゆきました。このことは、私と境遇が同じ、あの難波伸一様なら御存知と思います。
 ひきつったしわが体全体にでき、あのこちこちに硬かった体が、今度は水のように、ぶよぶよに柔らかくなってゆきました。とても、この世の臭いとは思えない程の強臭。
 口もきけなくなった子が、始めて私に訴えたのです。「どうして。」と。
「ごめんなさい。お母さん、お前がずっと寝ていると思ったの。」
 自分の子が死んだのに、どうして私は、自分の子を埋めてあげなかったのでしょう。いつまでもひとの姿でいないことは知っていたのに、いったい何をしていたのでしょう。私は、床下に穴を掘って子供を埋めました。でも、周囲の人が、その不審に思ってくれるでしょう。「あずけている」等と、いつまでも通じるわけがありません。数か月後に、二人で住んでいた所をそっと出てここまで移って来ました【子供を一緒にです。】
 やはり、あの団地で事を起こすには、団地に顔を出していなければなりません。自分に、よそ者の雰囲気があっては、まず、真っ先に怪しまれます。団地で、「ひとがさらわれていったぞ。」と思わせるには、私が最初から安全圏に居るようにしなくてはならなかったので、私は、既に、この団地に顔身知りなのです。もし私が捕まった時、皆さんは、私を見て驚かれるでしょう。
 今野さん、残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです。
 私は、引っ越して来た家の床下に埋めた子供の隣りに、真理ちゃんの骨を埋め、これで、やっと、ほっとしました。これで全てが終ったのです。
 それが、しかしです。
 やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。
 やはり骨だけだったので、鑑定をしても、それが誰のものなのかはわからなかった。
 しかし、「県内で、他に不明の子がいない」という理由で、「その骨を明子ちゃんのものとしてもよい。」という発表があった。
 私のように、後のなって骨を運んで行った人が居たのかもしれない。去年、捜索しても何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。
 そして、発表の後、明子ちゃんの両親は、御葬式をだした。やはり、明子ちゃんだと限らなくても両親というものは、そういうものなのです。私は、この事で、ある決心をし、計画をたてたのです。我が子の骨を、今野宅の葬式として、正式に「お墓」に入れてもらおうと思ったのです。
 この埼玉で、不明が初めて起こったのは、真理ちゃんだ。もし、真理ちゃん宅のそばで、骨が見つかれば、群馬同様、「県内で、他に不明者がいないこと」から、「この骨が真理ちゃんのものである。」と発表すると確信した。当然、全く関係ない正美ちゃんのことが関与してこられても困るので、私は持てる限りの物証を添えて骨を送った。
 私は送る前に骨を焼きました。私にとって「真理ちゃんの骨ではない。」という発表は絶対に困るからです。段ボール箱に私の子の骨を入れ、真理ちゃんの歯数本と、体の骨を少し入れて混ぜました。もしも届いた後、「真理ちゃんのものではない。」と発表されてしまうと、この私の子供の骨が、決して「墓」に入ることなく、また、永久に、私の手にも帰って来なくなる。私にとって全てが賭けだったのです。
 私はできることなら、神にさからってでも、あと15年は捕まりたくないと思っています。これは私の願いごとなのです。
 私は、神に斗いを挑まなくてはなりません。

 

 

『宮崎勤精神鑑定書−多重人格説を検証する』

瀧野隆浩(講談社、1996)



 部屋に積まれたビデオの山、ここからオタクという言葉が流行した。

 異常性欲のための殺人だという言説が流布したが、宮崎勤は性欲と呼べるようなものは全然なかったという驚くべき事実に遭遇した。

 
 この著書は、宮崎勤の精神鑑定書を丹念に読みつつ、その生育歴、そしてこころのありように迫った。

 著者の瀧野隆浩は、1960年生まれの毎日新聞の記者。
 

 

 

 

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