| 幼少期
カジンスキーは、まだ生後6ヶ月の頃、蕁麻疹性丘疹(皮膚の出来物)が全身にでき、母親すら面会できない状態で(母親が入院中の乳児に面会できるようになったは翌43年)、ベッドに縛り付けられ、体を調べられ、写真を撮られた。
その後も体は弱く、子供の頃何度も入院した。現在も健在のカジンスキーの母親は、メディアとのインタビューで、乳児期の病院の取り扱いについて繰り返し詳細に語っている。逮捕後、FBIに提出された母親の日記の1943/3/12日の記述には、「体は良くなったが、病院でのつらい経験の後、無表情・無反応になった」と書かれている。"Baby home from hospital and is healthy but quite unresponsive after his experience," she recorded in a baby book on March 12, 1943.
病弱な体質は成長に連れて改善したが、成長に連れて自分の殻に閉じこもり、家族や友人たちに素っ気ない態度をとるようになる。両親はボーイスカウトに入れてみたりしたが、やはり周囲の人々とうまくやっていくことはできなかった。
学校の成績は抜群に良く、音楽にも才能があった。愛用のトロンボーンをいじるのが好きで、父親のピアノにあわせて、演奏したこともよくあった。バッハやビバルディがお気に入りで、作曲の才能もあった。
友人と遊ぶことはなく、本を読むのが好きだった。15歳の時、シカゴ大学から奨学金をもらい、夏の間ギリシャ悲劇の講義に出席した。
青年期
16歳でハーバード大学に入学するが、環境には適応できなかった。学校が終わればすぐにまっすぐ自宅にもどり、普通の大学生のように友人と活発に活動するということは全くなかった。当時のルームメイトによれば、部屋の汚さは異常で、腐った牛乳が転がっていたという。また、後の証言によれば当時、「セックスへの激しい飢餓感"acute sexual starvation."」に苛まれていたが、つきあう相手が見つからず、悩んでいたという。
後の証言でこう述べている。
女性を口説こうとしても、惨めな結果に終わった。それは30歳になるまで長いこと続いた。女性に話しかけることは、極めて難しくほとんど不可能だった。19-20の頃、付き合っていた女性がいたが、人生で女性と付き合ったのはその一回だけだった。こんなことは言いたくはないが………
"My attempts to make advances to girls had such humiliating results that for many years afterward, even until after the age of 30, I found it excruciatingly difficult -- almost impossible -- to make advances to women ... At the age of 19 to 20, I had a girlfriend, the only one I ever had, I regret to say."
隠遁
博士論文が絶賛を浴び、カリフォルニア大学バークレー校に終身の身分保障付きで教授に迎えられる。しかし、教え子の学生達がエンジニアになろうとすることに不満を抱いていた。それはエンジニアという職業が「近代科学」の申し子であって「環境破壊」の先兵だと考えていたからだった。また、気弱な性格により、同僚の教授や学生達から嘲笑されていた。逮捕後の証言では、同僚達はカジンスキーのことをよく覚えていなかった。
大学を自ら辞め、モンタナ州の山奥に小屋を建て、電気、水道などの全くない状態で20年にわたって孤独な隠遁生活を送る。
1978年から逮捕された95年までに精巧な爆弾を16回にわたって大学や航空会社に送った。モンタージュが全国をくまなく行き渡り、捜査機関が必死の捜査を行う中、犯行を続けた。
反科学、反技術の狂信的主張を繰り返し新聞に投稿した。1995年、35000語に及ぶ「声明文(manifesto:434kb)」をニューヨークタイムズやワシントンポストに送り、もし掲載されれば、犯行を停止するという条件を突きつけ、掲載させることに成功する。
この声明文を読んだカジンスキーの弟Davidが兄から来る手紙が声明文に酷似しているとして警察に通報、1996年逮捕される。Davidは情報提供者への100万ドル(1億円)の報奨金を受け取り、「犠牲者の悲しみを少しでも和らげるために使いたい」として信託基金を作り、犠牲者への支払いを現在も続けている。
小屋の中からは製造中の爆弾、化学薬品の容器、電池と銅線、声明文の原稿、郵送した爆弾の爆発を伝える雑誌などが見つかった。日記の中には、あいつらの手を吹き飛ばしてやるといった記述から、性転換手術について精神科医に相談したということまで詳細に書かれていた。住んでいた小屋は、裁判の証拠として丸ごと運ばれた。
|