[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」


 

ウェイン・ウィリアムズ

79-81年の間に黒人の少年少女27人を殺害したとされるが、冤罪の可能性も指摘されている。黒人

1958/05/27生まれ、フリーカメラマンで音楽プロデューサなどもしていた

一人っ子で、両親は犠牲者が失踪した地域で教師をしていた。

学校の成績は優秀、16歳で両親の助けを借りてラジオ局を設立、放送・エンターテイメント業界での成功を夢見た

ジョージア州立大学は中退こそしているが成績は優秀だった

19歳のとき、全米黒人地位向上協会(NAACP)のBenjamin Hooksと二人で雑誌の表紙を飾っている

前科なし。終身刑で現在も服役中
Wayne Bertram Williams

 


 

70-80年代ジョージア州アトランタは、コカコーラやデルタ航空の本社を擁する南部の経済的中心として栄えていた。栄えるアトランタには大量の貧しい黒人が流入、犯罪率が急上昇したため白人は郊外へ逃避した。それによって財政が悪化、アトランタは荒廃していった。

1978/06/2114才の少年二人が失踪、7/28Edward Hope Smith22口径拳銃で射殺、Alfred Evansも絞殺死体で発見された。奇妙だったのはEdwardの靴下とフットボールのユニフォームがなくなっており、失踪時とは服装が違っていたことだった。Alfredの遺体は頭部が無かったため今だに身元は証明されていない。遺体から麻薬が検出されたため,警察はお互いに殺しあったとして捜査には及び腰だった。

Edward Hope Smith

Milton Harveyは母親からお使いを頼まれ銀行へ自転車を走らせている最中に失踪、一週間後、郊外の側道におかれたごみ箱の中でバラバラ死体となって発見された。

Yusef Bell9)は絞殺された上、小学校廃屋の床の裂け目で絞殺体で発見された。失踪時に裸足で発見されたときも裸足だったが、何故か足の裏がきれいに洗われていた。

この事件の後、人種差別の根強かったマスコミも黒人少年の連続殺人を取り上げるようになった。

この時点で警察は4つの殺人が同一犯であるとは考えていなかった。

 

Milton Harvey

Angel Lenair12)は80/03/04自宅を出たまま失踪、03/10絞殺体で発見。

初めての女性の被害者だった。電気コードで首を木に縛られており,本人のものではない下着が2着口に詰められていた。司法解剖の結果、処女膜は破れており、性器周辺に擦り傷があったが、警察はレイプされていないと発表した。

二人の容疑者が逮捕されるが証拠不十分で釈放された。

Angel Lenair

Jefferey Mathis10)は夕方頃母親に煙草を買って帰る途中に自宅近くで失踪。友人Willie Turnerが白人の運転する青い車に乗るところを見たのが最後だった。Willieは自分の車に乗っている時、銃で車を脅し取ろうとした白人と同一人物だと述べたが、警察はこの情報を重視しなかった。さらに同じ小学校の黒人生徒が青い車に乗るように誘ってきた怪しい人物について警察に通報、ナンバーまで知らせたが警察は相手にしなかった。

80/05/18Eric Middlebrooks14)撲殺され発見。警察は強盗の目撃者だったEricが犯人に殺されたと考えたが,証拠は十分にそろわなかった。

 裕福な中産階級の子息Christopher Richardson12)は80/06/09近所のプールに出かけ失踪。

06/22LaTonya Wilson7)が窓を外して進入した何者かに誘拐された。

 被害者の母親達が防犯組織を結成(the Committee to Stop Children's Murders)、市当局や富裕な白人層の支持を求めて活動を開始。

 Aaron Wyche10)絞殺体で発見。

80/07/06Anthony Carter9)が自宅近くの倉庫で刺殺体で発見。

80/07/30Earl Terrell11)が友人とプールに行った後失踪。家族の元に身代金200ドルを要求する電話がかかってきた。近所で児童ポルノの売人が逮捕されるが、所有していた写真は全て白人児童のものだった。

 この二つの誘拐事件が同一犯らしく州境を超えているということでFBIが出動することになった。

 Clifford Jones13)はアトランタに住む祖母を訪ねてきたが、80/08/20付けていたものとは別の下着を着せられた絞殺体でごみ箱に捨てられていた。この時、大きな包みをごみ箱に捨てている不審者の目撃者が複数あった。

 80/09/14Darron Glass失踪。

 一向に犯人が捕まらないことに苛立ったため、教会や市民が活動を開始。

 殺害方法や死因、犠牲者の性別が一致しなかったため、警察は同一犯の可能性は低いと考えていた。通常の連続殺人は手口が成長することはあっても殺害方法が全く異なることはほとんど無い。そのため、複数の犯人がいると考えられていた。

 80/10/09Charles Stephens12)が失踪。翌朝、絞殺体で発見。この時、有力な目撃証言があった。ある麻薬の売人が客の車に乗ったところ、後部座席にぐったりした少年がシートに包まって顔を後ろに向け横になっていたという。売人が男に尋ねると激怒、薬の打ち過ぎで気を失っているだけだと言った。また、セックスの相手になる子供を紹介して男から報酬を受け取ったことが何回かあったと言う。

 80/10月半ば、LaTonya Wilsonの白骨死体が被害者の自宅付近(アトランタ市北西部)で発見。死体がバラバラだったため、死因やレイプの形跡などはわからないままだった。

 この頃、アトランタ市長は市民の夜間外出を禁じた。ハロウィン期間中に子供が襲われることを危惧したからだった。しかし、11月の始めには次の犠牲者が出た。

Aaron Jackson9)の絞殺死体発見現場(South Riverの橋の下)は、既に殺害された友人Aaron Wycheの発見現場に近かった。

 80/11/10Patrick Rogers14)が失踪、12/21撲殺され川岸でうつ伏せの状態で発見。その1週間前、歌手活動のマネージャーを見つけたと周囲に言っていたこと分かった。このマネージャーがこの事件の犯人とされるウィリアムズだった。

 81/01Lubie Geter14)が失踪、翌月、森の中を犬を散歩させていた男性がバラバラになった死体を発見。衣服は下着のみで死因は首をしめられたことによる窒息だった。

81/01Terry Pue15)の失踪後に男から電話があり、死体が何処にあるかを警察に告げ、その高速道路沿いに他の遺体も遺棄したと言う。Terryの遺体は電話の通りの場所でロープで首を締められ死亡していた。数年後実際に他の少年の遺体が発見されたが身元の特定はできなかった。

 81/02/06Patrick Baltazar11)が失踪。ビルの清掃係が庭に捨てられていた遺体を発見。傍に首を締めるのに使用したと思われるロープが落ちていた。犠牲者の担任教師は、死亡の直前に名前を名乗らないまま泣き叫ぶ少年からの電話を受けていた。

 81/03/06Curtis Walker13)が絞殺。この日、失踪していたJefferey Mathisの遺体をFBIが発見した。

81/04/19Joseph Bell15)が絞殺。

81/03/30Timothy Hill(13)が絞殺。彼と金を払って定期的に性交していたThomas Terrell63)が容疑者になるが殺人とは関係ないことが明らかになった。

 市民は野球バットをもった自警団「バットパトロール」を結成するが、皮肉なことに結成の当日に新たな犠牲者が出た。失踪していたEddie (Bubba) Duncan12)は81/04/08、他の犠牲者と同様、絞殺され川の傍に捨てられていた。犠牲者には知的・肉体的障害があった。

 

 

Maynard Jackson市長は犯人に懸賞金をかけた。寄付金は地元企業やモハメッド・アリなど有名人から大量に集まった。同年、レーガン大統領も捜査・被害者対策に200万ドル以上をアトランタ市に拠出したが、資金はうまく使われず、被害者にも補償は払われなかった。しかも連続殺人を止めることはできなかった。

 81/05、知的障害のあるLarry Rogers22)が廃屋の中で絞殺体で発見。

81/05、失踪していたMichael McIntosh23)の絞殺体が川に浮いていた。彼は元受刑者、同性愛者で売春もしていた。

 

 Jackson市長

John Porter28)が駐車場脇の側道で刃物で6回刺され死亡。彼は元受刑者、精神病歴があった。犠牲者の年齢が高かったため、容疑者の逮捕後まで、一連の殺人とは関係ないとされていたが、裁判中に現場で発見された衣服の繊維から犯行がわかった。

Jimmy Ray Payne21)の遺体が川に浮いていた。死因は不明。彼は強盗で収監されたことがあり、鬱病患者で自殺未遂を何度か繰り返していた。

81/05William Barrett17)は首を締められ後、刃物で刺され、自宅近くで発見された。彼は非行に走っており、素行も悪く、以前児童への強制猥褻で逮捕された白人男性と定期的に性交していた。犯行の前に、「ヒットマン」と称する人物から殺害の予告電話があった。

 最後の犠牲者はNathaniel Cater27)の絞殺で、全裸遺体はChattahoochee川に橋の上から投げ捨てられた。彼は同性愛者で売春夫、麻薬の売人で、アルコール中毒だった。

 以前死体が発見されたJackson Parkway Bridgeには警官が張り込んでいた。大きな包みを橋の上から投げ捨てたシボレー・ステーションワゴン(白)を停車させ職務質問した。乗っていたのはウィリアムズだった。後日下流でNathaniel Cater27)の死体が発見されたが、この橋の上の事件の翌日に犠牲者に会ったという男性が裁判中に証言しており、ウィリアムズがこの時捨てたのが何だったかは明らかになっていない。逮捕を免れた後、自宅に戻り父親と一緒に自宅にあった大量のネガや証拠を焼却処分している。

 


ウィリアムズは1958/05/27生まれ、フリーカメラマンで音楽プロデューサなどもしていた。一人っ子で、両親は犠牲者が失踪した地域で教師をしていた。学校の成績は優秀で、16歳で両親の助けを借りてラジオ局を設立、放送・エンターテイメント業界での成功を夢見た。ジョージア州立大学は中退こそしているが成績は優秀だった。19歳のとき、全米黒人地位向上協会(NAACP)のBenjamin Hooksと二人で雑誌の表紙を飾っている。

副業として、火事・事故・飛行機墜落現場などのビデオや写真を地元のメディアに売って金を稼いでいた。警察の無線を傍受しており、警察より速く現場に着くこともあった。

ウィリアムズの夢は、ジャクソンファイブ・スティビー・ワンダーのような才能を発掘し、プロデューサー・マネージャにおさまって億万長者になることだった。そのために歌の才能のある黒人少年達を探しレコーディングに明け暮れた。ただ、優秀な歌手を見抜く目がなかったため事業に失敗、両親を破産に追い込んだ。

慢性的な虚言癖があり、業界の有名人を知っている、大会社と仕事をしているなどとふれ回っていた。友人の一人Bernard Headleyウィリアムズについてこう言っている。

警察官の真似をさせると異常なまでにうまかった。76年に車にパトカーのようなサイレンをつけて捕まったことがある。

逮捕後、メディアに向けて無実を訴え、生け贄にされたとする声明文を発表。大部分は誇張や嘘だった。FBIは遺体に残された繊維や犬の毛を物的証拠として既につかんでおり、複数の犠牲者とウィリアムズが接触していたという証言なども集まってきた。また、レコーディングスタジオの従業員からウィリアムズが腕に深い傷を負って血を流していたと証言した。

 

裁判は81/12/28開始。起訴は二人の成人男性の殺害に対してだけだった。

陪審は女9男3、白人4人、黒人8人。

弁護側は、資金不足と膨大な人数の検察側証人との面会時間のため不利な立場に立った。FBIの出した証拠を崩せるような専門家を雇うこともできなかった。 

ただ、車の中の血痕や遺体から採取された繊維は、有無を言わさぬほど有力なものではなかった。実際に自宅からは犠牲者の血痕や繊維などは発見されておらず、証拠とされた繊維は町じゅうに出回っている類のものだった。

複数の証人がウィリアムズは何年も黒人の少年を非難する言動があったと証言。

係争中の2件の殺人に関して、犠牲者の一人は心臓病を持っており自然死した可能性があり、もう一人も単に麻薬か酒のせいで誤って溺死した可能性があった。

警察のモンタージュ製作技師は作ったモンタージュがウィリアムズとは全く似ていないと述べ、新卒でウィリアムズの会社に入った従業員は、ウィリアムズが同性愛者を毛嫌いしており、倫理観もしっかりしていたと述べた。検察官Jack Mallard ウィリアムズを怒らせ政府を非難させることに成功した。そのため陪審の心証は相当悪化したと思われる。

19821Jimmy Ray Payne Nathaniel Caterの二人を殺害したとして二つの終身刑が確定した。評決の後、アトランタ市警は明確な根拠がないまま他の22の殺人についても有罪と発表

終身刑で現在も服役中。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           ●トップ    ●掲示板  ●猟奇殺人犯アーカイブ    ●猟奇殺人の研究

 

プロファイル研究所 管理人とまと 

連絡先 9tomato@excite.co.j 大量のジャンクメール対策として末尾の「p」を削除してあります。

All Rights Reserved.

  リンクフリーです。勝手にリンクして下さいませ^^ゞ

  当サイトにはグロテスクな表現や画像が含まれておりますのでご注意下さい

 

You can link your site to this one without my approval. Send your comment or opinion to Tomato